また「キャリアプラン」の季節がやってきた
最近、客先でまた「キャリアプラン提出」の話が始まっていた。
私はフリーランスなので提出する側ではないのだが、横で話を聞いていると、毎年この時期特有の空気を思い出す。
「3年後どうなりたいか」 「どんなキャリアを目指したいか」 「会社で何を実現したいか」
若い社員たちが、少し困った顔をしながらシートを埋めている。
正直、この手の話には独特の“建前感”がある。
本音を言えば、多くの人にとって仕事はまず生活のためだ。
できれば健康に、平和に、効率よく稼ぎたい。
でも、さすがにそれをそのまま書くわけにもいかないので、 「技術力を高めて組織に貢献したい」 みたいな感じに、社会人らしく整えることになる。
若い頃の私は、こういう文化にかなり冷めていた。
「会社は役割を提示して、対価を払う」 それだけでいいのでは?
特にエンジニアを長くやるほど、外資系のようなドライな関係のほうが合理的に見える。
だから日本企業のこの“学校の延長”みたいな雰囲気に、ずっと違和感があった。
でも、歳を取ると少し見え方が変わる。
日本企業って、なんだかんだで「育てる責任感」が強い。
特に新卒一括採用の文化がある会社ほど、 「この若手をちゃんと戦力にしなきゃいけない」 という空気がある。
だからキャリアプランも、単なる管理資料というより、 「お前、将来どうしたい?」 を半分本気で聞いている側面がある。
もちろん建前もある。
でも実際、日本企業は未経験でも採用して、現場で育てる。
海外みたいに「経験ないなら不採用」で終わらず、 ポテンシャル採用して、時間をかけて教育する。
これは良し悪しあるが、かなり特殊で、ある意味では温かい文化だと思う。
そして面白いのは、こういう「夢を書け」と言われる時期には期限があることだ。
だいたい20代〜30代前半くらいまで。
40代を超えると、急に現実的になる。
会社側も本人も、 「この人はこういうタイプ」 という像が固まるからだろう。
今振り返ると、キャリアプランを書かされていた時期というのは、会社側から「投資対象」として見られていた時期でもあったのだと思う。
会社のお金で研修を受け、 案件で経験を積み、 ある程度失敗も許される。
あれは意外と贅沢な時間だった。
もちろん、 「仕事なんて金のため」 という考え方も間違っていない。
私もフリーランスになった今は、その感覚のほうが強い。
でも、日本企業のちょっと面倒なお節介文化も、全部が悪だったわけではない。
せっかくなら、その仕組みを利用して、自分に都合よく経験値を稼ぐ。
それくらいの距離感で付き合うのが、日本社会では案外ちょうどいいのかもしれない。