資源国の呪いと、エンジニアの「技術スタック」

今日、ネットで「資源国の呪い」についての記事を読んだ。

天然資源が豊富な国は、その輸出だけで食べていけてしまう。すると他の産業が育ちにくくなり、結果として世界の変化に弱くなる――そんな話だった。

日本は逆だ。資源がないから、外から買うために働き、加工し、輸出してきた。嫌でも「世界で今、何が価値を持つのか」を見続けないと生き残れなかった国だと思う。

それを読んでいて、ふと「これ、エンジニアのキャリアそのものだな」と感じた。


「得意技」という名の油田

エンジニアにとって、特定の言語やフレームワークを極めることは、ある意味で「油田」を掘り当てるようなものだ。

たとえば、ある時代のPHP、Java、AWS、React、あるいはAI関連技術。波に乗れば、仕事は次々に来るし、単価も上がる。

実際、自分も「この技術をやっていて助かった」と思ったことは何度もある。

でも、怖いのは、その油田があまりに豊かだと、人間はそこから動かなくなることだ。

「今の仕事で困ってないし」 「新しい技術を触る時間がもったいないし」 「若い人がやればいい」

そう思い始めた瞬間から、少しずつ「資源国化」が始まる。

気づいた頃には、外の世界でエネルギー革命が起きていて、自分の掘っていた資源の価値が急落している。

エンジニアの世界だと、それは普通に起きる。


「持たざる者」の強さ

逆に、日本みたいに「何もない前提」で生きていると、常に外を見る癖がつく。

今どの技術が伸びているのか。 何が廃れ始めているのか。 どの組み合わせが強いのか。

結局、これって投資とか商売に近い感覚なんだと思う。

全部を自前で持つ必要はない。 必要なものを見極めて、仕入れて、組み合わせて、価値に変える。

最近のAI時代なんて、特にそう感じる。

昔みたいに「一つの言語を10年極めれば安泰」というより、「どのツールを、どの場面で使うか」の目利きの方が重要になってきている。

Claudeを使うのか、ChatGPTを使うのか。 RAGを組むのか、シンプルなプロンプトで済ませるのか。 MCPを使うのか、普通にAPIで十分なのか。

結局、「技術そのもの」より、「技術をどう組み合わせるか」の比重がどんどん大きくなっている気がする。


「何でもできる人」の難しさ

とはいえ、何でもかんでも手を出せばいいわけでもない。

広く浅くなりすぎると、 「で、あなたの専門は?」 という話になる。

これは本当に難しい。

たぶん理想は、「主力の油田」を持ちながら、周辺の資源も少しずつ掘っておくことなんだろう。

自分の場合、ベースにはずっとバックエンドやAWSがある。 でも、その周辺にAIが来たり、フロントエンドが来たり、英語が乗ったりしている。

完全に別人になる必要はなくて、「隣の鉱脈」に少しずつ手を伸ばしておく感じ。

それだけでも、変化への耐性はかなり違う。


柔軟さだけは失いたくない

結局、「これ一本で一生安泰」みたいなものは、たぶんもう存在しない。

資源国も、エンジニアも同じだ。

だからこそ、 「今持っている強み」を活かしつつ、 「次の資源」にも少しずつ触れておく。

その落ち着きのなさというか、危機感というか、「まだ変われる」と思える感覚が、最後まで一番大事なのかもしれない。

最近はそんなことを考えながら、また新しいツールを触っている。