専門化するAIと「価値観」の多様化 —— 最近なんとなく感じていること

最近、AI界隈を眺めていて、少し前までの「とにかく巨大モデルを作れば勝ち」という空気が、少しずつ変わってきているのを感じる。

もちろん今でも巨大モデルは強い。 実際、Anthropic の Claude 系は、コード生成や長文読解でかなり高い評価を受けているし、長いコンテキストを扱う性能も売りになっている。(Anthropic)

ただ、最近面白いのは、「全部できる万能AI」よりも、特定領域に異様に強いAI の存在感が増してきたことだ。


「でかいAIが最強」とは限らなくなってきた

昔は「パラメータ数が多いほど賢い」という雰囲気が強かった。

でも最近は、特定用途向けにファインチューニングされた中規模モデルが、巨大モデルを上回るケースが普通に出てきている。

例えば研究論文でも、

という話がかなり増えている。(arXiv)

実際、法務・医療・金融みたいな世界では、「広く浅く知ってるAI」より、

“この業界の言葉と文化を理解してるAI”

の方が圧倒的に使いやすい。

エンタープライズ用途だと特にそう。

現場で欲しいのは「宇宙の真理を語るAI」じゃなくて、

みたいな、極めて泥臭い知識だったりする。


AIにも「文化圏」がある

あと最近強く感じるのが、AIって結局「無色透明」ではないということ。

今の主要AIを触っていると、かなり強く、

「アメリカ西海岸テック企業の価値観」

を感じる。

もちろん差別対策や安全性を重視するのは大事だし、実際それによって救われている部分もある。

ただ、AIの回答って結局、

にかなり影響される。

これは中国製AIだけの話じゃない。

中国AIが中国政府的価値観を持つのは当然として、欧米AIもまた、欧米的リベラル思想を反映している。

つまり、

「中立なAI」

というより、

「どの価値観を標準設定にするか」

の争いに近い。


たぶん今後は「思想別AI」が増える

なので今後は、

みたいに、かなり細分化されていく気がしている。

今のAIって、まだ「Wikipedia+超高性能検索エンジン」みたいな側面が強い。

でも人間が本当に求めているのって、実は知識だけじゃない。

「自分たちの文脈を理解してくれること」なんだと思う。

例えば日本人同士でも、

みたいな文化がある。

海外AIを使っていると、ここが微妙に噛み合わないことがある。

逆に、日本特化AIが出てきたら、妙に“阿吽の呼吸”を理解する可能性もある。

それはそれでちょっと怖いけど。


AIは「道具」から「所属」に近づくかもしれない

昔のソフトウェアって、基本的には「機能」で選んでいた。

でもAIは少し違う。

長時間使っていると、 人はAIに対して、

みたいなものを感じ始める。

つまり、単なるツールというより、

「どのAI文化圏に属するか」

みたいな話になっていく気がしている。

巨大汎用モデルは、たぶん今後もインフラとして残る。 でも日常的に人が触るAIは、

“小さくても、自分たちを理解してくれるAI”

になっていくのかもしれない。

少なくとも最近、そんな未来の入口を見ている気がする。