AIに「丸投げ」する思考の断捨離――私たちは、本当の「頭」を使えているのか?

最近、少し怖くなった

最近、少し怖くなることがある。

「あれ、自分、前より頭が悪くなってないか?」

もちろん病気の話ではない。

AIを毎日使うようになってから感じる、あの妙な違和感だ。

仕事でもプライベートでも、気が付けばAIが横にいる。

調査をする。 コードを書く。 資料を作る。 ブログを書く。

まずAIに聞く。

いや、「聞く」というより「投げる」と言った方が正しいかもしれない。

便利だからだ。

そして何より速い。

先日、昔のソースコードを見返した。

我ながらよくこんな量を書いていたと思う。

当時はエラーメッセージを見ながら調べ、ドキュメントを読み、試行錯誤を繰り返していた。

今は違う。

エラーを貼ればAIが解説してくれる。

設計を相談すれば案を出してくれる。

英語のドキュメントも要約してくれる。

その結果どうなったか。

たぶん私は、昔ほどコードを書いていない。

正確には、書けないわけではない。

やれと言われれば書ける。

PowerPointの図形を整列させることもできる。

HTMLの細かな調整もできる。

単体テストをひたすら書くこともできる。

ただ、やりたくない。

脳のどこかから、

「それ、AIでよくない?」

という声が聞こえてくる。

一度便利さを知ってしまうと、人間はなかなか元には戻れない。

脳の使い方が変わった

昔は自分が答えを作っていた。

今は答えを選ぶことが増えた。

コードを書くより設計を考える。

文章を書くより構成を考える。

実装するより優先順位を決める。

確かに、以前より抽象度の高いことを考える時間は増えた。

だから「上位レイヤーの思考に移行した」と言えなくもない。

しかし一方で、

「単に面倒なことをやらなくなっただけでは?」

という疑惑も消えない。

大きな会社の管理職は自分で手を動かさない。

資料は部下が作る。

予定は秘書が管理する。

コードも書かない。

部下は、うちの上司は楽でいいと陰口を言う。。。。

そして今、自分の横には24時間働くAI秘書がいる。 私はAIの部下を束ねる管理職だ。 仕事はちゃんとしている 唯一の救いは、彼らは私の陰口は言わないことだ

進化なのか、退化なのか

これが進化なのか退化なのかは分からない。

生産性は確実に上がった。

昔より多くの仕事ができる。

昔より多くの情報を扱える。

昔より速く成果物を出せる。

しかし同時に、

昔より泥臭い作業に耐える体力は落ちている気がする。

便利になった代償として、何かを失っている感覚もある。

それが何なのかは、まだうまく言葉にできない。

もしかすると、これは「知力の低下」ではないのかもしれない。

電卓が普及して暗算をしなくなったように。

カーナビが普及して道を覚えなくなったように。

能力が消えたのではなく、使わなくなっただけ。

そう考えることもできる。

ただ、それが本当に良いことなのかは分からない。

おわりに

ちなみに、この文章もAIと相談しながら書いている。

「AIを使いすぎると頭が悪くなるのではないか」

という記事を、

AIと一緒に書いている。

これ以上の検証方法があるだろうか。

結果が出る頃には、たぶん私はその結果を読むのもAIに頼んでいると思う。