趣味と仕事のあいだ——コードとの距離感

最近、ふと学生時代のことを思い出した。

大学の実験で回路を組んだり、端末に向かってFORTRANを書いたりしていた頃のことだ。

当時の私は、プログラムを書くこと自体が面白くて仕方なかった。

シミュレーションが動けば嬉しいし、動かなければ徹夜して原因を探す。今思えば大したプログラムではなかったのだろうが、それでも自分で考えたロジックが画面の中で動くことが純粋に楽しかった。

誰かの要件があるわけでもない。

納期もない。

レビューもない。

バグが出ても怒る上司はいない。

全部、自分の責任であり、自分の自由だった。

あれから随分時間が経った。

気が付けば、ITエンジニアとして何十年もコードを書いている。

今でもプログラミングは嫌いではない。むしろ好きな部類だと思う。

ただ、学生時代の楽しさと今の楽しさは少し違う。

仕事としてコードを書くと、プログラム以外のものが大量に付いてくる。

要件定義。

納期。

予算。

保守。

チーム内の調整。

そして、人間関係。

実際にはコードを書いている時間よりも、その周辺の調整ごとに頭を使っている時間の方が長いことも珍しくない。

エンジニアという職業は、プログラミングの仕事というより「複雑な制約条件の中で最適解を探す仕事」に近いのかもしれない。

だから時々、「好きなことを仕事にすれば幸せになれる」という言葉を聞くと、少し考えてしまう。

もちろん、それで幸せになる人もいる。

ただ、好きなことを仕事にするというのは、その対象を社会のルールや他人の期待の中に放り込むということでもある。

趣味のプログラミングなら、気が向かなければ一週間放置しても誰も困らない。

でも仕事ならそうはいかない。

お金が発生した瞬間に責任が生まれる。

責任が生まれれば自由は減る。

それは当たり前の話だ。

だから最近は、何かを純粋に好きでいたいなら、あえて仕事にしないという選択肢も悪くないと思うようになった。

週末に少し触るだけのプログラム。

発表はするが、マネタイズは考えてない自作アプリ。

利益も生まないし、評価にもならない。

でも、そういうものが意外と心の逃げ場になったりする。

誰の顔色も伺わず、自分のためだけにコードを書く。

考えてみれば、学生時代に楽しかったのは技術そのものというより、その「自由さ」だったのかもしれない。

大人になるというのは、好きだったものを手放すことではなく、ちょうどいい距離感を探していくことなのだろう。

そんなことを考えながら、久しぶりに昔のソースコードを眺めていた夜でした。