「どうでもいい」は最強の生存戦略 —— 人が死なない仕事で、自分を殺す必要はない

「その障害で、誰か死ぬの?」

昔、障害対応で現場が大騒ぎになっていた時に、ふと聞いた言葉がある。

「その障害で、誰か死ぬの?」

もちろん、世の中には人命に直結する仕事がある。

医療。 航空。 交通。 インフラ。

そうした現場で働く人たちの重圧は想像を絶するものだろう。

しかし、私たちITエンジニアの多くが関わっているシステムはどうだろう。

ECサイトが落ちる。 会員サイトが止まる。 APIがエラーを返す。 バッチが失敗する。

困る人はいる。 怒る人もいる。

だが、多くの場合、誰かが謝り、復旧し、報告書を書けば終わる。

もちろん手を抜いていいという話ではない。

ただ、そこに自分の命や健康を差し出すほどの価値があるのか、と言われると疑問なのである。


私たちは仕事より「評価」に苦しんでいる

実は、本当に苦しいのは障害そのものではない。

その先にある

「怒られるかもしれない」 「評価が下がるかもしれない」 「無能だと思われるかもしれない」

という恐怖だ。

冷静に考えると面白い。

障害によって発生した損害よりも、

「他人にどう見られるか」

の方が精神的ダメージとしては大きかったりする。

つまり、多くの場合、私たちを苦しめているのは仕事ではない。

承認欲求である。


「どうでもいい」は手を抜くことではない

ここで誤解してほしくない。

「どうでもいい」は投げやりになることではない。

やるべきことはやる。

障害が起きたら対応する。 原因を調べる。 再発防止も考える。

プロとして当然だ。

ただし、

「評価されるためにやる」

のではなく、

「自分の役割だからやる」

のである。

この違いは大きい。

評価のために仕事をすると、評価されなかった時に自分の価値まで否定された気分になる。

しかし、自分の矜持のために仕事をしているなら、結果は結果として受け止められる。


最悪の事態を考えてみる

障害が起きた。

上司に怒られた。

評価が下がった。

最悪、会社を辞めることになった。

さて、その後どうなるだろう。

世界は終わるだろうか。

たぶん終わらない。

転職するかもしれない。

しばらく休むかもしれない。

別の仕事をするかもしれない。

人生は意外と続いていく。

私自身、長いキャリアの中で炎上案件も見たし、裁判になった案件すら見た。

それでも今こうして生きている。

だから最近は思う。

人生の危機と、仕事の危機は別物だ。

仕事の危機を人生の危機だと勘違いすると、人間は簡単に壊れる。


「どうでもいい」は心を守る技術

人間は暇になると考えすぎる。

障害対応の後。 評価面談の前。 嫌なメールを読んだ後。

頭の中で同じことを何度も再生し続ける。

そんな時は、私は単純な方法を使う。

心の中でこうつぶやく。

「まぁ、どうでもいいか」

別に悟りでも何でもない。

ただの思考停止である。

しかし、人間には時々その思考停止が必要だ。

考えても変わらないことを延々と考え続けるのは、CPU使用率100%で無限ループしているプログラムと同じである。

そんな時は強制終了した方がいい。

「どうでもいい」

は、心の非常停止ボタンなのだ。


おわりに

仕事は大切だ。

責任感も必要だ。

だが、自分を壊してまで守る価値のある仕事は、そう多くない。

障害が起きても、大抵は誰かが謝れば終わる。

評価が下がっても、人生は終わらない。

クビになったとしても、案外なんとかなる。

だから今日も、やるべきことはちゃんとやる。

その上で、必要以上に背負い込まない。

そして本当に苦しくなったら、こう言えばいい。

「その障害で、誰か死ぬの?」

答えがノーなら、大丈夫だ。

そして最後にもう一言。

「まぁ、どうでもいいか。」

人生を長く生き抜くためには、それくらいの雑さが案外ちょうどいい。