資産ゼロで死ねたら、それは幸せなのだろうか

最近、『DIE WITH ZERO』という本が話題になっている。

要するに、「死ぬ時にお金を余らせるくらいなら、生きているうちに使った方がいい」という考え方だ。

正直、これは理屈としてはよくわかる。

20代や30代の100万円と、90歳の100万円では価値が違う。

若い頃なら海外旅行に行けるし、新しいことに挑戦もできる。人生の思い出や経験に変えることができる。

一方で、90歳になってからの100万円はどうだろう。

もちろん無価値ではないが、体力も行動力も落ちている。できることは限られている。

そう考えると、「死ぬ時に資産ゼロ」というのは、実は理想的な状態なのかもしれない。

しかし、現実にはなかなかそうはいかない。

なぜか。

寿命がわからないからだ。

80歳で死ぬのか、95歳まで生きるのか、誰にもわからない。

だから人は貯め込む。

今を我慢してでも、「もしもの老後」に備える。

私自身もそうだ。

老後のために必要以上に節約している気はないが、だからといって資産を使い切る勇気もない。

結局のところ、老後の不安がすべての根源なのだと思う。

そんなことを考えていて、ふと一つのアイデアを思いついた。

70歳を超えたら、希望者全員に最低限の生活を無条件で保証する制度があったらどうだろう。

今の生活保護とは少し違う。

日本の生活保護は、基本は資産があると貰えない。持ち家ならその家を売ってから申請してくださいとなる。 また家族や親戚に扶養できないかを照会がされる。世間体を気にする日本人にはハードルが高い。

本当にホームレス一歩手前にならないと貰えない制度だ。

そうではなく「高齢者向けのセーフティネット」として堂々と利用できる制度だ。

もしそれが存在したら、多くの人の人生設計は変わる気がする。

「老後のためにあと何千万円必要だろう」

そんな計算を延々と続ける必要がなくなる。

旅行に行く人も増えるだろう。

趣味にお金を使う人も増えるだろう。

子供や孫に生前贈与する人もいるかもしれない。

老後への備えとして眠っている資産が、現役世代のうちに社会へ還流する。

経済的にも悪くない話に思える。

もちろん財源の問題はある。

制度設計も簡単ではない。

資産が100万の人と1億の人を一緒に扱うわけにはいかない。

だから実現するとは思っていない。

ただ、「老後の不安」を個人の貯蓄だけで解決しようとしている今の仕組みも、どこか無理があるように感じる。

最近は投資や資産形成の話題が多い。

NISAだ、iDeCoだ、FIREだと、皆が将来のために資産を積み上げている。

それ自体は悪いことではない。

ただ、ときどき思うのだ。

人生の目的は、口座残高を最大化することだっただろうか、と。

本当は使うために稼いでいるはずなのに、いつの間にか貯めることそのものが目的になっていないだろうか。

理想を言えば、最後の日に通帳を見て、

「ちょうど使い切ったな」

と笑って終われたら格好いい。

もっとも、その計算ができる人間がいたら、ノーベル賞ものだろうけれど。