なぜ私たちは「人類滅亡」に騙され続けるのか?映画『2012』と予言ビジネスの正体

テレビで映画『2012』をやっていた。

もう公開から十数年。作中で人類が滅亡するはずだった年も、とっくに過ぎてしまった。

内容はご存じの通り、マヤ文明の暦が終わることをきっかけに地球規模の天変地異が発生し、人類が滅亡寸前まで追い込まれるという超大作パニック映画だ。

映像は今見ても迫力満点で、「そこまで地球を壊さなくても……」と思うくらい豪快に世界が崩壊していく。

映画としては面白い。

問題は、公開当時、本気で信じた人が結構いたことだ。

人類は何回滅亡すれば気が済むのか

人類滅亡の予言といえば、まず思い浮かぶのはノストラダムスの1999年だろう。

その後もマヤ暦、巨大隕石、惑星衝突、謎の惑星、スーパー太陽フレア……。

数え始めたらきりがない。

しかし冷静に考えてみてほしい。

これまで世界中で「人類滅亡」が何度予言されてきただろうか。

そして、当たったものは一つもない。

私は今日も普通に朝起きて、コーヒーを飲み、このブログを書いている。

少なくとも今のところ、人類は意外としぶとい。

そこで思う。

そんなにみんな、人類に滅亡してほしいのだろうか。

人の不安は最高の娯楽になる

不思議なのは、毎回外れているにもかかわらず、新しい滅亡説が出るたびにニュースになり、SNSで拡散され、YouTubeでは解説動画が量産されることだ。

結局のところ、人間は不安が好きなのだ。

平和な毎日より、「来月世界が終わるかもしれません」の方が圧倒的にクリックされる。

世界が終わると言われても会社には行くし、ローンも払い続けるのだが、それでも「もしかしたら」を見に行ってしまう。

恐怖には、中毒性がある。

もちろん、本当に終わってしまったら映画館からも帰れないのだが。

「当たる予言者」の種明かし

「この人は予言がよく当たる。」

そんな話を聞くことがある。

実は仕組みは驚くほど単純らしい。

とにかく大量に予言する。

世界情勢、地震、災害、政治家、芸能人、経済。

思いつく限り全部予言する。

百発、千発撃てば、どれか一発くらい偶然当たる。

そして、その一発だけ切り抜いて、

「私は予言していました。」

と宣伝する。

外れた999発は誰も話題にしない。

もし突っ込まれたら、

「未来が変わった。」

「私の警告のおかげで回避された。」

など、便利な説明がいくらでも用意されている。

これに曖昧な表現まで混ぜれば最強だ。

「東の国で大きな災いが起こる。」

こんな予言なら、いつか何かしら起きる。

そのたびに「ほら当たった」と言える。

ずいぶん商売しやすい職業である。

マヤ暦は「カレンダーが終わった」だけだった

そもそもマヤ暦についても、本来は「一つの周期が終わる」という意味であって、「人類滅亡」とは別の話だったと言われている。

言ってしまえば、

「今年のカレンダーが終わりました。」

という話を、

「世界が終わる!」

に変換したようなものだ。

日本で12月31日になるたびに「人類終了」と騒ぐ人がいたら、さすがに心配になる。

プロレスだと思えば腹も立たない

だから私は、この手の予言はプロレスを見る感覚で楽しむことにしている。

「今年こそ世界が終わる!」

「いや終わらない!」

そんなやり取りを眺めながら、

「今年も興行が始まったか。」

くらいの距離感でいるのがちょうどいい。

もちろん映画『2012』のようなエンターテインメントとしてなら大歓迎だ。

地球が割れようが、大陸が沈もうが、映画館なら安心してポップコーンを食べられる。

現実では、世界は案外地味に明日も続いていく。

そして、おそらく来年あたりには、また新しい「人類滅亡」が始まる。

今度は何が地球を壊すのか。

AIなのか、小惑星なのか、太陽なのか、それとも宇宙人なのか。

少なくとも予言そのものだけは、驚くほど高い確率で当たる。

「人類滅亡の予言は、また現れる。」

それだけは、毎回外さない。

最後の一文は皮肉としてかなり効く。「滅亡予言は外れるが、滅亡予言そのものは必ず復活する」というオチになっている。