月100本動画を作れるようになって、少し怖くなった話

最近、このブログを投稿すると、自動で英語へ翻訳され、音声が生成され、そのままYouTubeへ動画としてアップロードされる仕組みが完成した。

技術的には、月100本でも200本でも動画を公開できる。

エンジニアとしては、なかなか面白い仕組みができたと思っている。

ただ、完成して最初に思ったのは「すごい」ではなく、「これ、大丈夫か?」だった。

もし同じことを100万人が始めたらどうなるのだろう。

昔は動画を一本作るだけでも大変だった。

企画を考え、撮影し、編集し、サムネイルを作る。それなりの時間も労力も必要だったから、自然と公開できる本数には限界があった。

ところが今は違う。

ブログを書けば、そのまま動画になる。

しかも、その作業のほとんどをAIがやってくれる。

一本あたりの価値が小さくても、数を出せばどれかは当たる。そう考える人は必ず出てくるだろう。

これは動画だけの話ではない。

ブログも、営業メールも、SNSへの投稿も同じである。

情報を作るコストが限りなくゼロに近づけば、最後は量で勝負する人が必ず現れる。

その結果、ユーザーが毎日目にするのはAIが大量生産したコンテンツばかりになる。

最近でも、「これはAIで作ったな」と分かる文章や動画を見かけることは珍しくない。

正直、私自身もそういう動画は途中で閉じてしまうことが増えた。

では、YouTubeやGoogleのようなプラットフォームは、この状況を放置するだろうか。

私はそうは思わない。

AIを全面的に禁止することはないだろう。

それでは自分たちまで時代遅れになってしまう。

しかし、量産コンテンツが無制限に増え続けることも歓迎しないはずだ。

収益化の条件を厳しくする。

おすすめへの掲載基準を変える。

検索順位のアルゴリズムを調整する。

そうした対応は今後も続くだろう。

さらに、投稿そのものにコストを持たせる可能性もある。

例えば月に一定本数までは無料、それ以上は有料にする。

あるいは、ブロックチェーンのガス代のように、投稿するたびに数円程度の手数料を取る。

無料だから大量投稿が起きるのであって、ほんの少しでもコストが発生すれば、低品質な量産コンテンツはかなり減る。

インターネットは昔から同じことを繰り返してきた。

メールはスパムとの戦いになった。

掲示板も荒らされた。

SNSも広告やボットに悩まされ続けている。

AIコンテンツも、おそらく例外ではない。

そう考えると、最後に価値が残るのはコンテンツそのものではなく、「誰が発信しているのか」なのかもしれない。

生成AIは文章も画像も動画も驚くほど高い品質で作れるようになった。

しかし、本人が顔を出し、自分の声で、自分の経験を語ることまでは簡単にはコピーできない。

だからこそ、そういう発信の価値はこれからむしろ高くなるような気がしている。

私もエンジニアを引退したら、顔を出してYouTubeで話すようなことを始めるかもしれない。

それはそれで楽しそうだ。

ただ、今はそんな余裕はない。

本業の開発で毎日手一杯である。

AI時代になっても、締め切りだけは昔と何も変わらない。