猛暑の地下道で倒れていたホームレスを見て、日本の「申請主義」を考えた
先日、大都市のターミナル駅を歩いていたら、警察官が何人も集まっていた。
何事かと思って近づくと、ホームレスらしき男性が倒れていた。どうやら熱中症だったようだ。
今年の暑さは異常だ。地下道とはいえクーラーが効いていない場所は蒸し風呂のようで、立っているだけで汗が噴き出す。
一方、その地下道のすぐ隣にはデパートがある。自動ドアを一枚隔てただけで、涼しい空気が流れている。
距離にすれば数メートル。
それでも、その人にとっては入れない世界だった。
その光景を見て、昔、父から聞いた話を思い出した。
父は昔、デパートに勤めていた。
当時もホームレスの人が店内に入ってくることはあったらしい。
もちろん商売なので、そのまま店内に居続けてもらうわけにはいかない。
だから父は、タバコを数本渡して「悪いけど、これで外へ行ってもらえるかな」と声をかけていたという。
追い出していることに変わりはない。
しかし、そこには少なくとも人間同士のやり取りがあった。
今はそういう時代ではない。
警備会社が来る。
マニュアル通りに対応する。
立ち入り禁止。
それで終わりだ。
社会は合理的になったが、その分だけグレーゾーンも消えていったように思う。
日本には生活保護という制度がある。
「それなのになぜホームレスになるのか」と疑問に思う人も多い。
実際、ホームレス状態であれば生活保護の対象になる可能性は高い。
では、なぜ受給しないのか。
理由はいろいろあるが、大きく二つに分けられると思う。
一つは、家族との関係だ。
生活保護では、ケースによって扶養義務者への照会が行われる。
借金や家庭の事情で家族から離れた人にとっては、それが一番避けたいことかもしれない。
「こんな姿を家族に知られたくない」
その気持ちは、外から見ているだけでは簡単には否定できない。
もう一つは、自分で申請できない人たちだ。
知的障害や精神疾患、あるいは長年の路上生活で社会との接点を失ってしまった人。
役所へ行く。
制度を理解する。
書類を書く。
担当者に状況を説明する。
私たちには当たり前でも、それができない人は少なくない。
日本の福祉制度は、基本的に申請主義で動いている。
制度は用意する。
必要なら申請してください。
来なければ支援できません。
この考え方自体には合理性がある。
行政が全国民を一人ずつ探し回ることは現実的ではないからだ。
ただ、この仕組みには一つだけ大きな欠点がある。
最も助けが必要な人ほど、申請できない。
ここに制度のジレンマがある。
経済的に考えても、不思議な話ではある。
路上で倒れれば警察が来る。
救急車が来る。
病院で治療を受ける。
それらは結局、公的なお金で支えられている。
それなら先に住む場所を確保し、最低限の生活を支援した方が、結果として社会全体の負担は小さくなるという考え方もある。
実際、海外ではそうした「まず住居を提供する」アプローチを採用する地域もある。
最近はAIによって仕事が減るかもしれないという話から、ベーシックインカムを議論する人も増えてきた。
私も、その議論自体は理解できる。
しかし、お金の配り方だけ変えても、本質的な問題は残る気がする。
スマホを持っていない人はどうするのか。
住所がない人はどうするのか。
制度そのものを理解できない人はどうするのか。
結局、「自分で申請してください」という仕組みのままでは、一番困っている人ほど取り残される。
必要なのは、お金の制度だけではない。
困っている人を社会の側から見つけに行く仕組みだ。
あの日、地下道で倒れていた男性は、その後どうなったのかは分からない。
助かったのかもしれないし、生活保護につながったのかもしれない。
あるいは、また同じ場所へ戻ってしまったのかもしれない。
分からない。
ただ一つ思ったのは、日本の福祉制度の最大の壁は、お金の額ではなく、「助けてと言えた人しか助けられない」という仕組みなのではないか、ということだった。