「やめましょう」が言えない国——北陸新幹線延伸を見て思い出した、日本の悪い癖
先日、北陸新幹線の延伸ルートについて、京都を経由して大阪へ向かう案が正式なルートとして進められるというニュースを見た。
ニュースだけ見ると、
「ようやく決まったのか」
という話に見える。
ところが、少し事情を知っている人の解説を読むと、どうも雰囲気が違う。
「……これ、本当に作れるの?無理じゃない?」
という空気が漂っている。
もちろん私は鉄道の専門家ではないので、ルートそのものの是非を語るつもりはない。
ただルートを通る京都府、京都市の合意がないのである。今回の決定はあくまで国の方針というだけだ。
新幹線では地方自治体が建設資金を分担するルールが有る。地方が支払う意思がなければ工事は始められないのだ。
京都にも理屈はある
京都市の立場を聞くと、別に無茶を言っているようには思えない。
京都にはすでに東海道新幹線が走っている。
それなのに、さらに莫大な地方負担をしてまで新しい新幹線を通すメリットがあるのかと言われれば、疑問を持つのも当然だろう。
「どうしても必要なら国が費用負担してください。」
そう考える自治体があっても不思議ではない。
一方で、国が京都だけ特別扱いして地方負担をゼロにしてしまえば、
「じゃあ、過去にうちが払った分は何だったんだ」
と他の自治体から不満が噴き出すだろう。
つまり、
国にも理屈がある。
京都にも理屈がある。
だから話が進まない。
本当に不思議なのは、その先
私が一番不思議なのは、
「じゃあ、一回やめませんか?」
という話にならないことである。
ここまで来て現実的ではないと判断したなら、
- 白紙に戻す
- 京都を迂回する別ルートを再検討する
そういう議論があってもいいはずだ。
正確には、いままでは別ルートも考慮にいれるというスタンスを取っていたが、今回の決定で、やはり別ルートは無理、当初の計画通りのルートとなったのである。
やめるにしても、別ルートにしても、今までやってきたことを撤回することは難しい
なぜなら、
「やめよう」「かえよう」と最初に言った人が全部悪者になるから。
「今まで使った税金はどうするんだ。」
「何年も議論してきたのは無駄だったのか。」
「関係者のメンツを潰すのか。」
こうして誰も最初の一言を言えなくなる。
その結果、
誰も賛成しているわけでもないのに、
誰も止めない。
日本では、これが一番よくあるパターンだ。
この構図、どこかで見たことがある
この「撤退できない病気」は、日本の歴史でも何度も見てきた。
第二次世界大戦末期もそうだった。
勝ち目がないことは、多くの人が理解していた。
それでも、
「終戦しよう」
「もうやめよう」
と言い出すことは極めて難しかった。
もちろん、新幹線と戦争を同列に語るつもりはない。
命の重さは比べものにならない。
ただ、
「止めた方がいいと分かっていても、誰も止めると言えない。」
この意思決定の構造だけは、驚くほど似ているように見える。
日本が苦手なのは「失敗」ではなく「撤退」
私は、日本人は失敗が嫌いなのではないと思う。
本当に苦手なのは、
撤退を決めることだ。
始めることは評価される。
頑張り続けることも評価される。
でも、
「これはやめましょう。」
と言った瞬間に、
責任だけが一人に集中する。
だから誰も言えない。
その結果、
プロジェクトは終わらず、
議論だけが何年も続く。
ある意味では、日本で一番安全なのは、
何も決めないことなのかもしれない。
AIに決めてもらったら?
AIと仕事をしていると、この違いがよく分かる。
AIは意外なくらいあっさり言う。
「この案は効率が悪いので捨てましょう。」
「別案の方が合理的です。」
サンクコストにもメンツにも興味がないからだ。
もちろん、そのまま従うのは危険だ。
AIは失敗もする。
でも、人間は逆に **「失敗だと分かっていても止められない」**ことがある。
どちらが怖いかと聞かれると……
少しだけ人間の方が怖い気がしている。