AIの終末予測が「100年単位」なら現実味を帯びるこれだけの理由
先日、AIの未来を予測した「AI 2027」というレポートの解説動画を見た。
このレポートが公開されたのは約2年前だ。
つまり、壮大な未来予測ではあるものの、最初の2年分については、ある程度「答え合わせ」ができる時期になっている。
このシナリオをまとめた中心人物は、OpenAIの元研究者ダニエル・ココタイロ氏。OpenAIではAIの安全性や長期的なリスクを研究し、その後独立してAI Futures Projectを立ち上げた人物である。
彼らが描いた未来はかなり刺激的だった。
2025年頃からAIエージェントが本格的に仕事を担い始める。
2026年にはソフトウェア開発や翻訳など、多くの知的労働が急速にAIへ置き換わる。
2027年にはAIがAI自身の研究開発を加速させ、人間の知能を超える「知能爆発」が起きる。
その先には、人類が超知能AIの制御を失い、最終的には人類滅亡に至る可能性まで描かれている。
なかなか景気のいい未来予測である。
では、この2年間を振り返るとどうだろう。
私の印象では、前半はかなり当たっている。
AIエージェントは実際に開発現場へ入り始めた。
私自身も毎日AIを使って仕事をしているが、2年前とは比較にならないほど実用的になっている。
翻訳もプログラミングも、確実にAIへ置き換わり始めている。
一方で、細かい部分はかなり外れている。
当時はOpenAIがこのまま独走すると考える人も多かった。
しかし現実にはAnthropicやGoogleも猛烈な勢いで追い上げ、今では完全な一強とは言えなくなった。
最新モデルも驚くほど賢くはなったが、自分で勝手に研究し、自分を改造しながら人間を欺き始めるような世界には、まだ到達していない。
ここで一つ思った。
もしかすると、この予測は内容ではなく、時間軸だけが間違っているのではないか。
10年後の話として読むと荒唐無稽に見える。
しかし100年後の話だと考えた瞬間、急に現実味が出てくる。
AIがAIを改良する。
これは十分あり得る。
今でもAIはコードを書き、設計を考え、レビューまで行う。
まだ人間が最後の判断をしているが、100年という時間があれば、AIが次世代AIを開発する世界になっていても驚かない。
もう一つは、人間社会そのもののAI依存である。
「AIに支配される」という言葉は、どうしてもSF映画を連想してしまう。
しかし現実には、もっと地味な形になる気がしている。
電力、物流、金融、病院、行政。
社会のあらゆるインフラがAIなしでは維持できなくなる。
そうなれば、AIが命令しなくても、人間はAIを止められなくなる。
これは十分あり得る未来だと思う。
ただ、AI終末論を読んでいると、一つだけ気になることがある。
物理世界を少し甘く見積もりすぎではないか。
AIはデータセンターの中で動いている。
データセンターには電気がいる。
発電設備がいる。
設備を保守するロボットがいる。
ロボットを作る工場がいる。
工場には半導体がいる。
半導体にはレアメタルがいる。
鉱山がいる。
輸送網がいる。
現実世界は、ソフトウェアのようには動かない。
AIがコンピューターの中で自己進化することと、現実世界の巨大なサプライチェーンを完全に自律運用することは、まったく難易度が違う。
だから私は、「2030年代に人類滅亡」というシナリオにはあまり説得力を感じない。
しかし100年後なら話は別だ。
ロボットがロボットを作り、そのロボットが工場を維持し、さらに次のロボットを生産する。
そんな循環が完成していても不思議ではない。
もちろん、その頃の超知能AIが人間を敵だと思うのかは誰にも分からない。
排除するのかもしれない。
保護するのかもしれない。
あるいは、人間など野生動物を見る程度の関心しか持たないのかもしれない。
そこは、今の人間が考えても答えは出ない。
未来予測というものは不思議で、数年単位の予測ほど外れやすい。
ところが100年単位になると、細かい年表は外れても、大きな方向性だけは意外と当たることがある。
だから私は、AI終末論そのものを笑う気にはなれない。
笑うとしたら、「2030年代」という日付の方である。
100年後なら十分あり得る。
もっとも、その頃には私はこの世にいない。
結局のところ、100年後の未来予測というのは、当たっても外れても、誰も答え合わせをしてくれない。
未来予測が人気なのは、その便利さも理由の一つなのかもしれない。