「作る前に考えろ」と教わった私が、「考える前に作れ」と言い始めた

30年前、新人だった私は、先輩からこう教わった。

「作る前に、考えろ」

いきなりコードを書くな。

まず仕様を固めろ。

設計書を書け。

レビューを通せ。

それが正しい開発だと教わったし、長い間、実際に正しかった。

作るのが、高かったからである。

実装には数ヶ月かかった。

作り直しは、数ヶ月の損失を意味した。

だから、作る前に徹底的に考えることには、経済合理性があった。

その前提が、いま崩れている。

紙の上の検証は、当たらない

「作る前に考える」文化の象徴が、企画書と市場調査である。

作るべきかどうかを、紙の上で検証する。

市場規模を調べ、競合を並べ、収支計画を引く。

会議を重ね、稟議を通す。

数ヶ月かけて「これはいける」となってから、開発が始まる。

私は以前、ライブ動画で商品を売るECサイトの構築に参加したことがある。

計画は、立派だった。

海外での成功事例もあった。

時流にも乗っていた。

システムも、ちゃんと完成した。

それでも、お客は来なかった。

このブログでも書いた話だが、あの経験から学んだことは一つである。

紙の上の検証は、驚くほど当たらない。

市場調査が教えてくれるのは「似たものが売れた過去」であって、「これが売れる未来」ではない。

本当に知りたいこと——このサービスに、お客が来るのか——は、出してみるまで誰にも分からないのだ。

検証の順番が、逆転した

では、どうすればよかったのか。

昔なら、答えはなかった。

「出してみるまで分からない。でも出すには数千万かかる」

これでは、賭けるしかない。

いまは、答えがある。

先に、小さく作ってしまえばいいのである。

AIのおかげで、動くものを作るコストは劇的に下がった。

かつて数ヶ月かかったMVP——最小限の試作品が、いまは数日で立ち上がる。

インフラも、サーバレスで組めば、客が来ない間はほとんど課金されない。

そうなると、検証の順番が逆転する。

作るべきかを考えてから作る、のではない。

作ってから、続けるべきかを考える。

1時間の会議と、1時間でAIに作らせたプロトタイプ。

どちらが多くの情報を生むかといえば、もう後者なのである。

会議で出るのは意見だが、試作品に返ってくるのは事実だ。

「とりあえず作る」にも、規律がいる

こう書くと、無計画のすすめに聞こえるかもしれない。

違う。

「とりあえず作る」には、それはそれで規律がいる。

私が意識しているのは、三つである。

一つ。小さく作る。

検証したい問いに答えられる、最小のものだけを作る。

問いが「お客は来るのか」なら、管理画面の作り込みは要らない。

二つ。計測を仕込む。

作って出して、数字を見ないなら、それはただの趣味である。

何人が来て、どこで離脱したか。

事実を取る仕掛けだけは、手を抜かない。

三つ。捨てる前提で作る。

これが一番難しい。

人間は、作ったものを捨てられない

作るコストは下がった。

だから理屈の上では、捨てるコストも下がったはずである。

ところが、人間の心は請求書を見ない。

3日で作ったものでも、作ってしまえば愛着が湧く。

数字が出ていないのに、「もう少し機能を足せば」と延命したくなる。

サンクコストの罠は、開発が安くなっても、しっかり残るのである。

さらに危ないのは、作ること自体が目的化するパターンだ。

安く作れるから、全部作る。

検証もせず、次を作る。

結果、誰にも使われない「動くゴミ」が量産される。

作る力が上がった時代に差がつくのは、実は作る力ではない。

畳む力である。

小さく試して、数字を見て、ダメなら未練なく畳む。

これができる人と組織だけが、安くなった試行錯誤の恩恵を受けられる。

稟議の国で

もっとも、日本でこれをやろうとすると、最後の壁は技術ではない。

文化である。

「作ってから考える」は、稟議の文化と相性が悪い。

許可を取ってから動く組織では、「もう作りました」は成果ではなく、越権になる。

失敗した試作品は、学びではなく、始末書の対象になる。

ただ、これも少しずつ変わってきていると感じる。

POCという言葉が、官公庁の案件でさえ普通に使われるようになった。

「まず試す」が、正式な工程として認められ始めているのである。

試すことが正式な工程になれば、試作の失敗は、工程の正常な出力になる。

そういう理屈の通し方が、この国では案外効くのだと思う。

30年越しの宗旨替え

「作る前に考えろ」と教わった世代の私が、いまは若い人にこう言っている。

「考える前に、作ってみたら?」

我ながら、ずいぶんな宗旨替えである。

でも、教えの本質は変わっていないつもりだ。

先輩が本当に言いたかったのは、「一番高い資源を無駄にするな」だった。

当時、一番高いのは実装だった。

だから、作る前に考えた。

いま、一番高いのは実装ではない。

時間と、検証の機会である。

だから、考えすぎる前に作る。

高いものを守れ、という教え自体は、30年前から一度も変わっていない。

高いものが、変わっただけである。