18年会社員をやって独立した理由を、正直に書いてみる
「なぜ独立したんですか」
フリーランスを13年やっていると、この質問を何十回も受ける。
聞く側には、期待している答えの型があるのが分かる。
やりたいことがあった。
会社に不満があった。
一念発起した。
つまり、ドラマである。
申し訳ないのだが、私にドラマはなかった。
今日は、その正直な話を書いてみたい。
18年の会社員生活
私は1996年に、受託開発の会社に入った。
5年働いて、2001年に大手WEB制作会社の開発部門に移った。
そこで13年。
合計18年間、会社員だった。
大手時代は、いろいろやらせてもらった。
JavaやPHPでのサイト構築。
プロジェクトマネージャ。
海外との橋渡しをするブリッジSE。
最後の2年は、開発部門のマネージャ職もやった。
不満だらけの会社員生活だったかというと、そんなことはない。
給料はちゃんと出たし、面白い案件も多かったし、人にも恵まれた。
では、なぜ辞めたのか。
会社の中の一本道
きっかけを一つ挙げるなら、マネージャ職である。
管理職をやってみて、分かったことがあった。
この道を進むと、私はコードから離れる。
会社の出世コースというのは、基本的に一本道である。
現場で成果を出す。
チームを持つ。
課を持つ。
部を持つ。
上に行くほど、コードを書く時間は減り、調整と管理の時間が増える。
管理の仕事が嫌いだったわけではない。
やってみれば、それなりに面白さもあった。
ただ、45歳、50歳になった自分を想像したとき、そこにいるのは「昔はコードを書いていた管理職」だった。
それが、どうにも嫌だった。
嫌だという以上の、うまい説明はない。
理屈ではなく、体質の問題だったのだと思う。
ドラマではなく、算数だった
もう一つ、独立を後押ししたのは、もっと即物的な計算である。
40歳を過ぎた頃、ふと考えた。
いま会社を出たら、自分にいくらの値段がつくのか。
会社の中にいると、これが分からなくなる。
給料は、市場価格ではなく、社内の人事制度が決めた数字である。
自分の値段を、自分で確かめたことがない。
その状態で50代を迎えるのが、じわじわと怖くなってきた。
会社が傾いたら?
部門がなくなったら?
そのとき初めて市場に出て、値段がつかなかったら?
幸い、当時はスマホの波で、WEB開発の需要が伸びていた時期である。
技術はある。
人脈も、18年分ある。
値段を確かめるなら、需要のあるうちだ。
そう考えると、独立はドラマチックな決断ではなく、リスク管理に近かった。
会社に依存し続けるリスクと、独立するリスクを天秤にかけて、後者のほうが軽いと算盤を弾いた。
それだけの話である。
拍子抜けするほど、何も起きなかった
独立した直後のことは、よく覚えている。
何も起きなかったのである。
劇的な成功もなければ、破滅もなかった。
最初の仕事は、会社員時代の付き合いから来た。
その仕事ぶりを見た人が、次の仕事をくれた。
以来13年、営業らしい営業をしないまま、仕事は途切れていない。
これは私の実力というより、18年の会社員時代に貯めた信用が、そのまま資本になったのだと思う。
独立とは、ゼロからのスタートではなかった。
それまでの働き方の、決算だった。
会社員時代に手を抜いていたら、たぶん半年で干上がっていたはずである。
美化はしない
こう書くと、独立礼賛に見えるかもしれないので、釘を刺しておく。
フリーランスは、誰にでも勧められる働き方ではない。
収入は不安定である。
いい年もあれば、細い年もある。
保険も年金も退職金も、自分持ちである。
体を壊せば、収入はゼロになる。
50代になったいま、この重みは年々増している。
そして、会社員時代には見えなかった事務仕事——請求、契約、税金——が、地味に時間を食う。
チームで大きなものを作る喜びも、会社のほうが得やすい。
私が独立して良かったと思えているのは、幸運の割合がかなり大きい。
時代の需要、健康、家族の理解。
どれか一つ欠けていたら、違う感想を書いていたと思う。
ドラマがなくても、決断はできる
それでも、この記事に何か持ち帰ってもらうとしたら、これだろうか。
独立に、ドラマは要らない。
世の中の独立話は、ドラマチックなものばかりが目立つ。
大きな夢、劣悪な職場、運命の出会い。
ああいう話を読むと、「自分にはそこまでの理由がないから」と、決断を先送りしたくなる。
でも実際の独立は、私のように、地味な算数と小さな体質の自覚だけでも、十分成立する。
むしろ、ドラマで独立した人より、算数で独立した人のほうが、長続きしている気さえする。
熱は冷めるが、算数は冷めないからである。
13年前のあの決断を、後悔したことは一度もない。
ただ、感謝はしている。
18年間の会社員生活と、そこで出会った人たちに。
独立して分かったのは、自分の足で立つことの半分は、それまでに誰と働いたかでできている、ということだった。