葬儀社からペットフードまで。ECサイトを作り続けて分かった、「常識」は業界の数だけあるということ
フリーランスになった直後、2014年から2019年頃まで、私はいろいろな業界のWEBサイトを作り続けていた。
並べてみると、こうなる。
外資系家電メーカーの日本向けECサイト。
葬儀社の会員サイト。
遊技メーカーの販促サイト。
倉庫会社の配車サービス。
中国向けのECサイト。
放送局の動画配信サイト。
ペットフードメーカーのECサイト。
見事に脈絡がない。
いわゆる「何でも屋」の時期である。
技術的には、PHPやKotlin、LaravelにVueJS、インフラはAWSと、だいたい同じ道具でやっていた。
ECサイトなど、構造だけ見ればどれも同じである。
商品があって、カートがあって、決済があって、会員がいる。
3つ目を作る頃には、正直「もう作り飽きた」と思っていた。
その予想は、毎回裏切られた。
同じECサイトでも、業界が変わると、まるで別物だったのである。
業界ごとに「常識」が違う
たとえば、葬儀社の会員サイト。
打ち合わせの初日から、それまでの常識が通用しなかった。
まず、色である。
ECサイトの定石である、赤い「今すぐ購入」ボタン。
派手なセールバナー。
全部、使えない。
サービスの性質上、当然である。
言葉遣いも独特だ。
「お申し込みありがとうございます!」という明るい完了メッセージは、この世界では事故になる。
文言のひとつひとつに、慶弔の作法がある。
そして「お急ぎ対応」の意味が違う。
一般のECで「お急ぎ」といえば、翌日配送である。
この業界の「お急ぎ」は、今夜、である。
システムの向こう側にいるのが、人生で一番大変な日を迎えている人だと思うと、フォームの項目一つ削るのにも意味が出てくる。
「そんなの常識でしょ」の正体
遊技メーカーの案件では、広告表現の規制を学んだ。
業界のルールで、書いていいこと、いけないことが、事細かに決まっている。
放送局の案件では、トラフィックの形が違った。
番組で紹介された瞬間、アクセスが垂直に立ち上がる。
平常時の何十倍のスパイクが、予告された時刻にやってくる。
サーバの増強計画が、番組表と連動するのである。
中国向けのECでは、そもそもインターネットの常識が違った。
日本で当たり前に使っている外部サービスが、向こうでは届かない。
決済も物流も、日本の定石が通じない。
ペットフードでは、定期購入というビジネスの奥深さを知った。
売って終わりではなく、いかに解約されないかの世界である。
どの案件でも、ヒアリングのたびに言われた言葉がある。
「え、そんなの常識でしょう」
そう、常識なのである。
その業界では。
要件定義とは、結局のところ、この「業界の常識」を発掘する作業だった。
お客様は、自分たちの常識を、わざわざ口にしない。
常識だから。
そして開発側は、その常識を知らない。
業界が違うから。
トラブルの多くは、この「言わなくても分かるはず」と「言われなければ分からない」の隙間で起きる。
何でも屋を5年やって、私は要件の聞き方が変わった。
機能を聞く前に、その業界の一日を聞くようになったのである。
システム開発は、業界見学のパスポートである
この時期を振り返って思うのは、エンジニアという仕事の、隠れた福利厚生についてだ。
システムを作るには、その業務を理解しなければならない。
業務を理解するには、中の人の話を聞くしかない。
つまりこの仕事は、あらゆる業界の裏側を、堂々と見学できるのである。
葬儀の現場が、どう回っているのか。
放送局が、放送事故をどう防いでいるのか。
倉庫が、トラックの配車をどう捌いているのか。
普通に生きていたら、一生知らないままの世界である。
私はそれを、仕事として、お金をもらいながら見せてもらった。
30年のキャリアで増えた資産は、技術だけではない。
この「業界の常識コレクション」こそ、誰にも真似されにくい財産だと思っている。
脈絡のなさが、あとで効いてくる
当時は「専門性が定まらない」ことに、多少の引け目もあった。
金融一筋、医療一筋という同業者と比べて、自分の経歴は雑多に見えた。
でも、あとになって分かった。
業界をまたいだ人間には、業界の中の人に見えないものが見える。
ある業界の常識は、別の業界では発明である。
ECの定期購入の仕組みは、会員制サービスの設計に流用できる。
放送局で学んだスパイク対策は、のちのIoT案件の負荷対策で、そのまま効いた。
雑多な経歴は、あとから振り返れば、掛け算の材料だったのである。
もっとも、これは結果論だ。
当時の私は、目の前の案件を食べるのに必死だっただけである。
キャリア戦略などと呼べるものは、何もなかった。
ただ、来た仕事を断らず、業界ごとの常識に毎回驚いて、面白がっていた。
いま思えば、あの「面白がる」だけは、意識してやっていた気がする。
どんな業界にも、システムがある。
そしてどんなシステムの裏にも、その業界で生きてきた人たちの、年季の入った常識がある。
それを聞かせてもらえるうちは、この仕事は飽きようがないのである。