1996年の開発現場を、2027年の若者に説明してみる
先日、若いエンジニアと話していて、こう聞かれた。
「1996年って、どうやって開発してたんですか」
私がこの業界に入った年である。
説明を始めて、すぐに気づいた。
当時の開発風景は、もう歴史の教科書側にある。
せっかくなので、今日は2027年の人に向けて、1996年の開発現場を説明してみたい。
同世代には懐古を、若い人には民俗学を、それぞれお届けできれば幸いである。
検索が、ない
まず、ここからだ。
分からないことがあっても、検索エンジンで調べる、という行為が実質存在しない。
ではどうするか。
本で調べるのである。
技術書は高かった。
1冊5,000円、6,000円は当たり前。
新人の給料では気軽に買えないから、会社の本棚の本を回し読みする。
あとは、雑誌。
月刊のプログラミング雑誌を熟読し、付録CD-ROMを大事に使う。
それでも分からなければ、最後の手段がある。
先輩に聞く。
先輩の機嫌のいいタイミングを見計らう技術は、当時の必須スキルだった。
いまの人が一番想像しにくいのは、たぶんこれだと思う。
エラーメッセージが出ても、そのメッセージで検索ができない。
目の前のエラーと、文字通り一対一で向き合うしかない。
ソースを読み、仮説を立て、試す。
夜が更ける。
それしか、方法がなかったのである。
サーバは、会社にいる
当時、サーバはクラウドの向こうではなく、会社の片隅にいた。
物理的な箱として、そこで唸っている。
サーバが落ちたら、見に行く。
画面を繋いで、様子を確かめ、だめなら電源ボタンを押す。
再起動とは、指の作業だった。
ディスクが足りなくなれば、増設の稟議を書く。
箱が届くまで、数週間待つ。
いまなら管理画面のスライダーを動かして数秒の作業に、季節が一つ過ぎた。
そして納品。
成果物は、MOやCD-ROMという「モノ」に焼いて、電車に乗って、客先に持っていく。
リリースは、物理的な移動を伴うイベントだったのである。
指先ひとつでデプロイが飛んでいく現在から見ると、ほとんど行商である。
通信は、細い
社内からインターネットに出る線は、細かった。
画像の多いページは、表示されるまでお茶が飲めた。
自宅では、ダイヤルアップ接続である。
電話代を節約するため、夜11時からの定額時間帯を待って接続する。
深夜のエンジニアが多かったのは、夜型だからではない。
夜しか、安く繋げなかったからである。
メールに1MBのファイルを添付するのは、相手への攻撃に近かった。
送る前に「大きいファイルを送ってもよいでしょうか」と、伺いのメールを送る。
そういう礼儀の世界だった。
それでも、あの頃と同じもの
さて、ここまでは「大変だったんですね」という話である。
だが、本題はここからだ。
30年経って、道具はすべて入れ替わった。
それなのに、仕事の中身は、驚くほど変わっていない。
お客様の要件は、当時から曖昧だった。
納期は、当時から短かった。
仕様は、当時から途中で変わった。
「思ってたのと違う」は、当時から言われていた。
つまり、開発の苦労の本体は、30年前から技術ではなく、人間の側にあったのである。
そして、良いほうも変わっていない。
自分の書いたコードが初めて動いた瞬間の、あの快感。
障害の原因をついに突き止めた深夜の、あの高揚。
あれは1996年も2027年も、まったく同じ味がする。
この味が忘れられなくて、30年やっているようなものである。
不便は人を鍛えた。が、戻りたくはない
「昔の不便が、基礎力を鍛えたんですよね」
と、言われることがある。
半分は、そうだと思う。
検索ができない環境は、当たりをつける力と、ソースを読み切る根気を育てた。
その筋肉は、いまでもAIの出力を検証するときに使っている。
でも、以前も書いた通り、私は苦労を美談にしない主義である。
あの時代に戻りたいかと聞かれたら、答えは即答だ。
絶対に、嫌である。
エラーメッセージは検索したいし、サーバは管理画面で増やしたいし、AIには相談したい。
不便には鍛えられたが、不便が良かったわけではない。
たまたまあの時代に鍛えられただけで、いまの若者はいまの時代の何かに鍛えられている。
それだけの話である。
30年前の自分に見せたら
ときどき、想像する。
1996年の、本棚の前で途方に暮れている新人の私に、2027年の開発風景を見せたら、どうなるか。
AIに日本語で頼むと、コードが書き上がってくる。
サーバは、コマンド一つで世界中に立ち上がる。
エラーメッセージを貼り付けると、原因の候補が数秒で返ってくる。
たぶん彼は、こう言うだろう。
「じゃあ、エンジニアは何をするんですか」
面白いのは、この質問が、2027年の現在も現役だということである。
道具が進化するたびに、私たちは同じ質問をしてきた。
そして毎回、答えは同じだった。
道具が引き受けてくれた分だけ、人間はより厄介な問題に進む。
30年前は、エラーの原因を突き止めるのに夜を徹した。
いまは、何を作るべきかに頭を使っている。
たぶん10年後は、また別の何かに悩んでいる。
悩みのグレードが上がり続けること。
この仕事の進歩とは、結局そういうことなのだと思う。