エンジニアがMBAを取って、元は取れたのかを正直に計算してみる

私の経歴には、少し浮いた一行がある。

国内MBAである。

エンジニアの経歴書にMBAと書いてあると、だいたい聞かれる。

「なんで取ったんですか」

そして、続けてこう聞かれる。

「で、役に立ちました?」

今日は、この質問に正直に答えてみたい。

先に結論を言うと、投資としては微妙、買い物としては最高である。

どういうことか、順に書いていく。

なぜ取ろうと思ったか

きっかけは、会社員時代にマネージャをやったことである。

以前書いた通り、管理職になると、会社の配管が見える。

予算、評価、損益。

ただ、当時の私は、配管が「見えた」だけだった。

なぜその配管がそう設計されているのか、理屈が分からない。

経営会議で飛び交う言葉が、半分は外国語だった。

粗利、償却、キャッシュフロー。

エンジニアの世界で30年鍛えた私の頭は、経営の世界では、新人だったのである。

分からないものを分からないままにしておけない性分は、技術も経営も同じだった。

それで、働きながら通える国内MBAに入った。

平日の夜と週末を、2年間、授業に捧げる生活である。

学費は、ざっくり言って車が一台買える金額だった。

何を学んだか

中身は、想像通りといえば想像通りである。

会計、財務、マーケティング、経営戦略、組織論。

ケーススタディを読み、議論し、レポートを書く。

一番の驚きは、経営が「学問」になっていたことだった。

エンジニアから見ると、経営判断は勘と度胸の世界に見える。

実際は、先人の成功と失敗が体系化され、定石として整理されている。

将棋に定跡があるように、値付けにも、参入にも、撤退にも、定石があるのである。

もちろん、定石を知っていても勝てるとは限らない。

それも将棋と同じである。

直接のリターン:ほぼゼロ

さて、損益計算に入ろう。

まず、直接のリターンから。

MBAを持っていることで仕事が来たことは、一度もない。

エンジニアの案件で、MBAが評価されたことも、記憶にない。

「MBAをお持ちなんですね」と面白がられたことはあるが、単価が上がったことはない。

この業界の値札は、あくまで技術と実績で決まる。

学位では、決まらないのである。

学費の回収という意味では、元は取れていない。

投資判断としては、正直、褒められたものではない。

MBAの授業で習ったNPVで計算したら、たぶん赤字である。

MBAの学びでMBAの赤字が確定するのだから、世話はない。

間接のリターン:こちらが本体だった

ところが、である。

間接のリターンは、想像よりはるかに大きかった。

一つ目。相手の帳簿が読めるようになった。

お客様がなぜ「安くしてくれ」と言うのか。

なぜ稟議に1ヶ月かかるのか。

なぜ期末になると急に発注が来るのか。

全部、向こうの決算と予算のリズムで説明がつく。

相手の事情が分かると、提案の言い方が変わる。

「この構成は月々の費用がこう変わります」と、相手の帳簿の言葉で話せるようになる。

通る提案が、増えた。

二つ目。自分が経営者になったとき、そのまま効いた。

フリーランスとは、社員一人の会社の経営者である。

値付け、キャッシュフロー、投資判断。

MBAで習った定石を、一番使っている顧客は、結局自分自身だった。

三つ目。エンジニア以外の頭と、2年間ぶつかったこと。

同級生は、銀行員、営業、公務員、医療関係者と、見事にバラバラだった。

同じケースを読んでも、着眼点がまるで違う。

エンジニアの正義——正確さ、効率、一貫性——が、世界の唯一の正義ではないと、腹の底から理解した。

この感覚は、その後の要件定義や調整ごとで、静かに効き続けている。

で、結局どうなのか

まとめよう。

キャリアのためにMBAを取るべきかと聞かれたら、エンジニアには「たぶん要らない」と答える。

同じ時間と金額を最新技術に投資したほうが、履歴書は強くなる。

回収の見込みも立てやすい。

でも、私はあの2年を、まったく後悔していない。

なぜなら、あれは投資ではなく、視力の買い物だったからである。

技術の世界しか見えなかった目に、経営の世界が映るようになった。

見える世界が一つ増えるという体験は、金額に換算しにくい。

換算しにくいものを無理に換算しないことも、実は会計の授業で習うことの一つである。

「元は取れましたか?」

冒頭の質問に、いまの私はこう答えることにしている。

「取れてません。でも、いい買い物でした」

矛盾しているようで、していない。

世の中の良い買い物は、だいたい元が取れていないのである。