50代になって、勉強のやり方を全部変えた
以前、50代エンジニアの体力の話を書いた。
今日はその姉妹編で、学習の話をしたい。
先に前提を言うと、この業界は勉強をやめたら終わりである。
30年前の知識で食べていける仕事ではない。
だから勉強は続けるしかない。
問題は、若い頃と同じやり方では、続けられなくなったことである。
記憶力は落ちた。
夜の集中力も落ちた。
一方で、技術の入れ替わりは、AIの登場で過去最速になっている。
覚える力が落ちた人間が、史上最速の変化を追う。
無理ゲーである。
だから私は、50代になって、勉強のやり方を全部組み替えた。
その方法を書いてみたい。
丸暗記をやめて、索引だけ覚える
まず、覚えることを諦めた。
若い頃は、APIも構文も、使っているうちに全部頭に入った。
いまは、入らない。
昨日調べたコマンドを、今日また調べている。
最初は、これが情けなかった。
でも、ある時気づいた。
全部覚えている必要は、もうないのである。
詳細は、検索すれば出てくる。
AIに聞けば、もっと速い。
覚えるべきは、詳細ではなく、索引である。
「そういうことが、できるはずだ」
「たしか、こういう落とし穴があったはずだ」
この「はずだ」さえ頭にあれば、あとは引けばいい。
本の中身を暗記するのをやめて、目次だけ覚える。
脳を、記憶装置から検索装置に転職させたのである。
50代の脳は、記憶装置としては型落ちだが、検索装置としては、30年分の索引が入った逸品である。
本を、頭から読むのをやめた
次に、読み方を変えた。
若い頃は、技術書を頭から通読していた。
いまは、しない。
まず、AIにその技術の全体像を説明させる。
自分の知っている技術との違いを聞く。
「PHPで言うと何にあたるのか」
「昔の〇〇と何が違うのか」
つまり、新しい知識を、既存の知識の隣に置くところから始める。
30年分の知識の棚は、こういうとき最強の武器になる。
まったくの新品を覚えるのではなく、棚の空きスペースに差すだけだから、覚えることが少なくて済む。
そして、疑問が湧いたところだけ、本やドキュメントで深掘りする。
通読は、しない。
読書量は減ったのに、身につく量は増えた。
年齢のハンデを、蓄積で相殺する。
ベテランの学習は、これでいいのだと思う。
手を動かす時間を、先に取る
三つ目は、順番の話である。
若い頃は、「まず一通り理解してから、手を動かす」だった。
いまは、逆にした。
先に動かして、後から理解する。
新しい技術は、まず動くサンプルをAIに作らせて、触る。
触って、壊して、直して、それから理屈を読む。
理由は単純で、50代の脳は、抽象的な説明だけでは覚えられなくなったからである。
体験と結びついた知識だけが、残る。
逆に言えば、体験さえあれば、ちゃんと残る。
記憶力の衰えは、記憶の「入口」を変えることで、かなり補えるのである。
あと、これは白状だが、先に触るほうが、単純に楽しい。
楽しくないと、50代の勉強は続かない。
若い頃は義務感で勉強できたが、いまは楽しさで釣らないと、自分が机に着かない。
自分の飼い方が、うまくなったとも言える。
追うものを、絞った
最後に、一番大事な変更である。
全部追うのを、やめた。
若い頃は、新しいものすべてに焦りを感じていた。
あれも知らない、これも触っていない。
いまは、こう整理している。
原理は変わらない。製品が変わるだけである。
HTTPの原理、データベースの原理、分散システムの原理。
このあたりの土台は、30年、ほとんど変わっていない。
変わるのは、その上に乗る製品とフレームワークの名前である。
土台を押さえていれば、新製品は「差分」で学べる。
だから私が本気で追うのは、土台が動くときだけだ。
クラウドは、土台が動いた。
AIは、土台が動いている。
そういう地殻変動だけは、全力で追う。
それ以外の新製品は、必要になったときに、差分で拾う。
追わない勇気は、若い頃には持てなかった。
これは加齢の成果である。
衰えは、設計で相殺できる
まとめると、私の学習法の変更は全部、同じ思想でできている。
落ちた能力で戦わず、残っている能力で戦う。
記憶力で戦わず、蓄積の索引で戦う。
通読の体力で戦わず、差分の目利きで戦う。
夜の根性で戦わず、朝の習慣で戦う。
加齢は、能力の一律低下ではない。
得意分野の移動である。
移動に合わせて戦い方を設計し直せば、学習速度は、実はそれほど落ちない。
少なくとも私は、20代の頃より、いまのほうが新しい技術の習得が速い。
覚えるのは遅くなったのに、習得は速くなった。
この逆転が起きることを、20代の自分に教えてやりたいものである。
まあ、教えたところで、あの頃の私は徹夜で丸暗記を続けるのだろうが。
若さとは、そういうものである。