日本のアニメ・漫画は「差別的」なのか?海外の議論を見て思ったこと
Redditを眺めていると、ときどき「なるほど、そう見えるのか」と考えさせられる議論に出会う。
先日見かけたのは、こんな意見だった。
「日本のアニメや漫画は西洋的な価値観に依存していて差別的だ。黒人キャラクターがほとんど出てこないのがその証拠だ」
こういう話は感情的になりやすいので、「どちらが正しいか」を決めるつもりはない。ただ、日本で育った人間としては、「そこは少し違って見えているのでは」と感じる部分もあった。
日本の作品は、まず日本人向けに作られている
当たり前の話だが、日本の漫画やアニメの多くは、日本人が日本人向けに作っている。
東京の高校が舞台なら、日本人ばかり登場するのは自然なことで、それだけで「差別だ」と言われても少し困ってしまう。
逆に、ニューヨークを舞台にした作品に日本人がほとんど出てこなくても、私はそれを差別だとは思わない。
作品には、その国の日常という文脈がある。
そこを無視すると、何でも差別に見えてしまう。
「金髪だから白人」という発想自体がズレている
海外では「金髪や青い目の主人公が多い。つまり白人が理想なのだ」という議論もあるらしい。
でも、日本人の感覚だと少し違う。
アニメの金髪キャラは、日本人である。
これを聞くと海外の人は驚くらしいが、本当にそうなのだ。
茶髪もピンク髪も青髪も、単なるデザインである。
理由は実に現実的で、全員を黒髪にすると画面が見分けにくいからだ。
漫画でもアニメでも、読者が一瞬で誰か分かるように色や髪型を変えている。
記号としてのデザインであって、人種を表現しているわけではない。
その違いがよく分かる作品が『けいおん!』だった。
主人公たちは金髪や茶髪でも、誰も「西洋人」とは思わない。
ところが映画板でロンドンへ行くと、現地の人たちは明らかに違うリアルな顔立ちで描かれている。
つまり、日本のクリエイター自身は「日本人アニメ顔」と「西洋人」をちゃんと描き分けている。
ヨーロッパ風ファンタジーにも理由がある
もちろん、「異世界もの」に中世ヨーロッパ風の世界が多いのは事実だ。
でも、それは西洋への憧れというより、日本のゲーム文化の影響が大きいと思う。
ドラゴンクエストやファイナルファンタジーで育った世代にとって、剣と魔法の世界は「ファンタジーの共通言語」になっている。
だから後続作品も、その文法を引き継いでいる。
文化というものは、一度定着すると何十年も続く。
ハリウッド映画の影響を世界中が受けてきたのと、それほど変わらない話だ。
美意識も時代で変わる
もう一つ面白いのは、美意識そのものが時代で変わることだ。
明治時代、日本人が初めて西洋人を見た頃は、「彫りが深すぎて怖い」と言われていたそうだ。
今ではハリウッド俳優のような顔立ちを美しいと思う人も多いが、それは比較的新しい価値観だ。
逆に、日本には昔から「色白は美人」という感覚がある。
だからアニメの白い肌を何でも「白人への憧れ」と説明するのも、少し単純化しすぎている気がする。
日本には日本なりの美意識の歴史がある。
文化は、一つの物差しでは測れない
そもそもここ数百年、西洋文明が世界の中心だったのだから、現代文化がそれに引っ張られてしまうのは事実として、仕方ないところがある。
服や建物など「現在的」なものは「西洋的」なのだ。いや正確に言えば「アメリカ的」と言うべきか。
そこは事実として、改善すべき課題はあるが、だからといって日本のアニメや漫画が差別的というのは、ポリコレ議論のとばっちりを受けてるようにしか思えない。
確かに日本の作品には、日本人から見ると当たり前でも、海外では奇妙に映る表現がある。
逆に、海外作品にも、日本人には違和感のある描写は山ほどある。
それでいいのだと思う。
文化が違えば、前提も違う。
問題なのは違いがあることではなく、自分たちの価値観だけが普遍だと思い始めることだ。
最近は「多様性」という言葉をよく聞く。
私も多様性そのものには賛成である。ポリコレにも一定の理解はある。
ただ、その言葉を掲げながら、世界中の作品が同じ価値観、同じ配役、同じルールで作られることを求めるのであれば、それは多様性ではなく世界規模のテンプレート化ではないだろうか。
それなら確かに平等かもしれない。
もっとも、そんな世界になったら、漫画もアニメもずいぶん退屈になる気がする。