英語は、永遠の主役じゃない —— 共通語は時代で変わる

最近、「これから英語って本当に必要なんですか?」みたいな話をよく見る。

まぁ、気持ちはわかる。

私が若い頃は、英語はほぼ“必須スキル”みたいな空気だった。 特にIT系はそうだ。

技術情報は英語。 エラーメッセージも英語。 海外ドキュメントも英語。 何か調べても最後は英語。

「英語できません」は、そのまま情報格差に直結していた。

だからみんな必死だった。 TOEICだ英会話だ留学だ、とにかく英語。

でも今、冷静に見ると、時代はかなり変わった。

正直、最近はAIに英文を投げた方が早い。

翻訳どころか、

までやってくれる。

昔みたいに「辞書片手に英文を読む修行」は、かなり減った。 いずれは翻訳だけでなく同時通訳をやってくれる日が来るだろう。

ただ、ここで言いたいのは「AIがあるから英語いらない」みたいな単純な話じゃない。

もっと根本的なところ。

そもそも「英語=世界の共通語」って、永遠の前提なんだろうか?

歴史を見ると、別にそうでもない。

たとえば昔、外交や学術の共通語は、長いことフランス語だった。 条約も、社交も、教養も、フランス語。

その名残は、今でも普通に残っている。 私たちが使ってるメートルやキログラム—— あの測量の単位がフランス由来なのも、 当時フランスが「世界標準を決める側」だったからだ。

つまり共通語は、その時代の力関係で、わりとあっさり入れ替わる。 英語が主役なのは、たまたま今がそういう時代だ、というだけ。

「英語は永遠に必要」というのは、実はかなり的外れな前提なのかもしれない。

しかも面白いのが、 その「今の主役」である英語ですら、よく見ると様子がおかしい。

昔、通訳者の人が言ってたんだけど、 外資系企業とか国際カンファレンスで、 一番英語が通じないのが、 実は英語ネイティブらしい。

これ、ちょっと笑ってしまった。

ネイティブ同士の省略、スラング、ジョーク、文化前提が強すぎて、 非ネイティブには逆に聞き取りづらい。

一方で、各国の非ネイティブ英語は、 みんな「伝える」ことを目的にしてるから、 むしろ通じやすい。

つまりグローバル社会で実際に回ってるのは、 「ネイティブみたいな綺麗な英語」じゃなくて、 単なる通信プロトコルとしての“下手な英語”だったりする。

学校が必死に目指してる「ネイティブっぽい英語」は、 世界基準で見ると、むしろ方言に近くなっている。

ここまで来ると、話はシンプルになる。

共通語に求められてるのは、文化でも教養でもなく、 ただ「意味が通る」という機能だけ。

そして、その「機能」の部分は、 AIが一番得意そうな領域でもある。

フランス語が英語に変わったように、 次の主役は、たぶんもう人間の言語ですらない。

イヤホンつけて喋れば、 相手は英語、自分は日本語、 でも普通に会話成立。

共通語が「英語」から「AI」に変わる、 それだけの話なのかもしれない。

そのうち、 「え? 昔の人って英語を10年くらい学校で勉強してたの?」 とか言われる時代が来ても、別に不思議じゃない。

もちろん、必要な人はいる。

濃密なコミュニケーションになると、 単語の意味だけじゃなく、 空気感とか距離感とか、 「その場の文化」が入ってくる。

ここはまだ、AIだけでは厳しい。

ただ逆に言うと、 そこまで必要ない人にまで、 全国民一律で英語を何千時間もやらせる意味あるのか、とも思う。

まぁ、とはいえ。

日本人は真面目だから、 共通語がAIに変わっても、 たぶん相変わらず英語資格の点数で戦ってそうな気もする。