全員が「正しい」のに泥沼化。ドラマ降板騒動から考えるコンプライアンスの怖さ
最近、ある日本のドラマを巡る俳優と女優、テレビ局のトラブルが話題になっている。
最初にニュースを見たときは、単純なセクハラ問題だと思っていた。
女優さんには過去のトラウマがあり、男性から触られることをNGとしていた。それを事前に伝えていたにもかかわらず、撮影中に俳優がアドリブで顎に触れた。
なるほど。
それならセクハラ問題として扱われるのも分からなくはない。
ところが、話が進むにつれて少し様子がおかしくなってきた。
俳優側は、そのNG事項を知らされていなかったという。
さらに問題の中心が、いつの間にか「顎に触ったこと」ではなく、その後に俳優が女優へ説教したことによる「パワハラ」に変わっていた。
最初はセクハラの話だったはずなのに、後からパワハラが出てきた。
女優さん側に性的な接触にトラウマがあるといいつつも、若手のイケメン俳優とは密着シーンをしている過去作を指摘された。単にジジイから触られるのを嫌がっただけという批判が出てきたので、その批判回避と言われている。
これが世間には、かなり印象の悪い「後出しジャンケン」に見えてしまったのだと思う。
結果、今は女優さんがめちゃくちゃ叩かれている。
全員の言い分を聞くと、全員が正しい
この騒動、面白いのは、それぞれの立場から見ると全員の言っていることが正しいことである。
まず女優さん。
男性から触られることはNGだと、最初から伝えていた。
それなのに突然、アドリブで顎を触られた。
本人からすれば「話が違う」となるのは当然だろう。
一方の俳優さん。
そんなNGがあることを知らされていなかった。
夫婦役を演じていて、演技の流れで顎に触れた。それが突然セクハラ扱いされたら、「いや、聞いてないよ」となる。
さらに、その後の説教についても、俳優側からすれば演技論だったのだろう。
「アドリブに対応できないほど制約があるなら、女優として難しいのではないか」
言い方や時間の長さは別として、長年演技をしてきた人間の意見として、それほど突拍子もない話ではない。
少なくとも本人は、パワハラをしているつもりではなかったはずだ。
そしてテレビ局や事務所。
女優さんのNG事項を俳優に伝えれば、演技の幅が狭くなる。作品の質にも影響する。
だから詳細を伝えなかった。
これも制作側の理屈としては理解できる。
最後にテレビ局のコンプライアンス対応。
今の時代、セクハラやパワハラの告発が出た以上、「まあ話し合って仲直りしてください」では済まない。
スポンサーもいる。
SNSもある。
下手な対応をすれば、テレビ局そのものが炎上する。
だから即座に俳優に厳重注意をした。そしてその俳優が出る別のドラマを降板させた。(問題になったドラマはクランクアップ済み)
これも企業のリスク管理としては正しい。
全員正しい。
そして、見事に全員不幸になった。
一番まずかったのは「伝えなかったこと」ではないか
私が一番不思議なのは、なぜ女優さんのNG事項を俳優に伝えなかったのか、という点である。
男性からの接触NG。
夫婦役。
この二つは、どう考えても事前に調整が必要だろう。
それを「演技の幅が狭くなるから」という理由で伝えなかったのであれば、かなり危険な判断だったと思う。
知らない俳優は普通に演技する。
女優はNGを破られたと感じる。
そこでトラブルが起きる。
当たり前である。
しかも俳優側からすれば、自分が知らされていなかったルールで突然アウト判定を食らったようなものだ。
そりゃ怒る人もいるだろう。
そして、その怒りから説教が始まる。
今度はそれがパワハラになる。
見事なコンボである。
セクハラからパワハラへ。これが世間の反発を招いた
今回、女優さんがこれほど叩かれている理由は、単純に「女優がわがままだから」ではないと思う。
問題の見え方が途中で変わったからだ。
最初は、
「俳優が女優の顎を勝手に触った」
というセクハラの話だった。
ところが俳優側から「NG事項は知らされていなかった」という話が出る。
すると今度は、
「問題は接触ではなく、その後の説教によるパワハラです」
となった。
世間から見れば、
「最初の理由が弱くなったから、別の理由を持ってきたのか?」
と感じる人が出るのは当然だろう。
もちろん、本当に説教が酷かった可能性はある。
私はその場にいないので分からない。
ただ、世論というのは裁判ではない。
事実を一つずつ精査して判決を出してくれるわけではない。
「後から理由が変わった」
そう見えた瞬間、一気に信用を失うことがある。
結果、本来はNG事項を破られた側だったはずの女優さんが、今では「扱いづらい女優」「面倒な人」として猛烈に叩かれている。
これもかなり皮肉な話である。
コンプライアンスで全員が不幸になる
俳優はそのテレビ局から追放された。
女優は世間から叩かれた。
テレビ局は対応を批判され、ドラマにも余計なイメージが付いた。
誰も得をしていない。
今回の件を見ていると、コンプライアンスというものが少し怖くなる。
本来は人を守るためのルールだったはずだ。
しかし現場がコンプライアンス違反を恐れすぎると、面倒な情報は共有されなくなる。
そして問題が起きた瞬間、今度は会社が自分を守るために誰かを切る。
今回も、最初から俳優に「この女優さんには接触NGがあります」と伝えておけば、おそらく何も起きなかった。
演技の幅が狭くなる?
仕方ないだろう。
それが出演条件なのだから。
それを隠して作品の質を守ろうとした結果、作品どころか俳優も女優もテレビ局も傷ついた。
全員が自分の立場では正しいことをしている。
それでも、全体として見ると最悪の結果になる。
コンプライアンス社会の怖さは、悪い人間がルールを破ることではないのかもしれない。
全員が「私は正しい」と思いながらルールを守り、自分を守った結果、誰も守られない。
今回の騒動を見て、そんなことを考えてしまった。