AI時代の専門家:価値が上がるのは「転職できる人」ではなく「その会社を知る人」かもしれない
最近、アメリカで Big Stay(大定着) という言葉が定着して来たという話を聞いた。
同じ会社に長くいるという意味らしい。アメリカで?
AIの登場以前からこの言葉はあったが、決定的になったのはAIの影響らしい。
転職者の持っているポータブルスキルが以前ほど評価されず、転職による給料アップが期待できなくなっているそうだ。
その結果、転職のモチベーションが下がるという解説だった。
少し前までのキャリア論は単純だった。
- 転職して年収を上げる
- ポータブルスキルを身につける
- 会社への依存を減らす
要するに、
「どこでも通用する人材になれ」
という話だ。
私も長らくそれが正しいと思っていた。
実際、IT業界もそうだった。
特定の会社の業務知識よりも、
- AWSができる
- Javaができる
- Reactができる
- プロジェクトマネジメントができる
といった汎用スキルの方が市場価値になった。
会社を変えても使える。
業界が変わっても使える。
だから「ポータブルスキルを磨け」が正解だった。
ところがAIが普及し始めてから、少し景色が変わってきたように見える。
なぜならAIが最も得意なのは、まさにそのポータブルスキルの部分だからだ。
プログラミングの一般論。
マーケティングの定石。
会計の知識。
契約書レビュー。
以前なら何年も経験を積まなければ手に入らなかった知識が、今ではAIに聞けば数秒で出てくる。
もちろん専門家はまだ必要だ。
しかし、
「一般論を知っているだけの人」
の価値は確実に下がり始めている。
では逆に何の価値が上がるのか?
普通に考えれば業界知識、ドメイン知識が物を言うという結論になるが、私は、それすらもAIが代替すると思う。
ある程度規模の大きな業界では、そのノウハウは整理されAIが把握するからだ。
個人的には
コンテクスト(文脈)を知っている人
が有利になると思う。
AIはベストプラクティスを知っている。
だが、
「なぜうちの会社はそれを採用しなかったのか」
は知らない。
AIは設計原則を知っている。
だが、
「なぜこのシステムはこんな歪んだ構造になっているのか」
は知らない。
AIは理想論を語れる。
だが、
「この顧客とは10年前に大喧嘩していて、その結果こういう運用になった」
ことは知らない。
現実の仕事というのは、こういう話でできている。
私自身、システムの調査を依頼されることがある。
設計書を読む。
ソースコードを読む。
ログを調べる。
そして、
「いや、普通こうは作らないだろう」
という箇所に出会う。
最初は設計ミスに見える。
ところが長くいる人の話を聞くと理由が出てくる。
昔の顧客要望だった。
法律が変わる前の仕様だった。
過去の障害対応の結果だった。
つまり、そのシステムは間違っているのではなく、
その時代の文脈の上に存在していた
のである。
AIはコードを読める。
しかし、その歴史までは読めない。
いや、正確には議事録がDB化されてたり、こまめに暗黙知が形式知になって書かれていればできるが、そんな会社は多くないだろう。
プロジェクト単位ならあるかもだが20年という長いスパンでみれば皆無と言っていい。
だから私は、AI時代の専門家の価値は知識そのものではなく、
知識と文脈を結び付けること
に移っていくと思っている。
AIが教えてくれるのは一般論だ。
専門家が提供するのは例外の理由だ。
なぜ理想的な設計を捨てたのか。
なぜ非効率な運用を残したのか。
なぜ教科書通りにやらないのか。
そういう説明ができる人間は、意外と少ない。
考えてみれば当たり前だ。
会社というものは、長い年月をかけて積み上がった成功体験と失敗体験の塊である。
そこにはマニュアル化できない暗黙知が大量に存在する。
そして、その暗黙知こそがAIにとって最も学習しづらい部分だ。
皮肉な話だが、AIが賢くなればなるほど、人間に求められる能力は「知識量」ではなくなるのかもしれない。
知識はAIが持っている。
検索もAIがやる。
資料作成もAIがやる。
コードもAIが書く。
では人間は何をするのか。
たぶん、
「その会社はなぜそうなっているのか」
を説明する役になる。
昔は転職市場で評価されるために、会社固有の知識は捨ててポータブルスキルを磨けと言われた。
しかしAI時代になると、逆に会社固有の知識が価値を持ち始める。
転職は損になる時代
もしそうだとしたら面白い。
20年前なら、
「そんな社内事情しか知らない人は市場価値が低い」
と言われた。
20年後には、
「その社内事情を知っている人がいないので困っている」
と言われているのかもしれない。
結局のところ、AIが得意なのは一般論だ。
そして現実の仕事は、だいたい一般論では動いていないのである。