Fable 5禁止で、AIオープンソース待望論が強くなると思う
AnthropicのFable 5とMythos 5が、アメリカ政府の指示で海外ユーザーから遮断されたらしい。
理由は国家安全保障。
まあ、そう言われると強い。
「危険だから止めます」 「国家安全保障上の懸念があります」 「詳細は言えません」
この3点セットを出されると、外野はだいたい黙るしかない。
もちろん、本当に危険な部分もあるのだろう。 Fable 5級のモデルがサイバー攻撃や軍事用途に転用される可能性は、普通に考えればある。
ただ、このニュースを見ていて、私は別のことも思った。
これでAIをオープンソースにしようという機運は、かなり強くなるのではないか。
便利な道具が、ある日突然「売れません」になる
今回の件で見えたのは、AIが単なる便利ツールではなく、完全に戦略物資になったということだ。
昨日まで普通に使えていたモデルが、今日から使えなくなる。
料金を払っていても関係ない。 契約していても関係ない。 仕事で組み込んでいても関係ない。
アメリカ政府が「だめ」と言えば、だめになる。
これは別にAnthropicだけの問題ではない。 OpenAIでもGoogleでも、同じことは起きうる。
むしろ、起きないと考える方が不自然だ。
AIは電気や水道のようなインフラになる、とよく言われる。 だが電気や水道が、ある朝突然、
「あなたの国には本日から供給しません」
と言ってきたら、それはインフラではなく首輪である。
ではオープンソースAIにすればいいのか
当然、次に出てくるのはこの話だ。
だったら、AIをオープンソースにすればいい
気持ちは分かる。
私も基本的にはその方向にかなり共感している。
巨大企業がインターネット中の文章、コード、画像、論文を吸い上げて強くなった。 それなのに、自分たちのモデルや出力が使われる側になると、急に「知的財産だ」「安全保障だ」「利用規約だ」と言い始める。
以前DeepSeekの蒸留騒動について書いたときにも感じたが、この業界にはずっと妙な非対称性がある。
自分が吸う側のときは「学習」。 自分が吸われる側になると「侵害」。
自分が広げる側のときは「民主化」。 自分が制限する側になると「安全保障」。
言葉は便利だ。 立場に合わせて、いくらでも着替えられる。
だから、オープンソースAIを求める声が強くなるのは自然だと思う。
誰かの都合で止められないAI。 国境で遮断されないAI。 企業の利用規約で首を絞められないAI。
そういうものが欲しくなるのは当然だ。
ただし、AIは気合いでは学習しない
問題はここからだ。
AIをオープンソースにしよう。
言うのは簡単だ。
だが、では誰が学習させるのか。
巨大モデルを作るには、きれいごとではなく、
- ヒト
- モノ
- カネ
が必要になる。
研究者がいる。 エンジニアがいる。 GPUがいる。 電力がいる。 データセンターがいる。 冷却設備がいる。 学習データがいる。 評価環境がいる。 安全性検証がいる。
そして、全部に金がかかる。
オープンソースという言葉には、どこか爽やかな響きがある。
だが巨大AIのオープンソース化は、休日に有志がGitHubで便利ライブラリを作る話とはかなり違う。
これはもう、ほとんど発電所をみんなで作ろうと言っているようなものだ。
READMEを書いて、スターを集めて、Discordで盛り上がれば完成する世界ではない。
SETIのような草の根運動はありえるか
一つの可能性は、SETI@homeのような草の根分散型だ。
SETI@homeというのは、昔あった分散コンピューティングのプロジェクトで、世界中の個人PCの空き時間を使って宇宙からの電波データを解析し、地球外知的生命体の痕跡を探そうというものだった。
世界中の個人が、自分のGPUやPCの空きリソースを提供する。
みんなで少しずつ計算資源を持ち寄る。
「あなたのゲーミングPCが、人類共有AIの一部になります」
こう書くと、かなりロマンがある。
実際、こういう方向は出てくると思う。 分散学習、分散推論、データ提供、評価協力。
小さな貢献を大量に集める仕組みは、AIでも重要になる。
ただし、巨大モデルの学習はそれほど単純ではない。
SETIのように、独立した小さな計算を配って、あとで結果を集めればよいというものではない。
学習には通信がいる。 同期がいる。 品質管理がいる。 悪意ある参加者への対策もいる。
人類共有AIを作ろうとしたら、まず人類が共有に向いていないという問題にぶつかる。
ここがなかなかの皮肉だ。
では金持ちに出してもらうか
もう一つの可能性は、どこかの大富豪が出資することだ。
AI版のLinux Foundation。 AI版のMozilla。 AI版のWikipedia。
あるいは、世界の富豪が突然目覚めて、
「人類のために、開かれた基盤AIを作る」
と言い出す。
とても美しい。
美しいが、少しだけ不安もある。
その金持ちの思想は入らないのか。 その財団の理事会は誰が選ぶのか。 どの国の法律に従うのか。 危険な用途への制限は誰が決めるのか。 政治的に都合の悪い話題はどう扱うのか。
結局、「巨大企業のAI」から「大富豪のAI」に変わるだけではないのか。
首輪のメーカーが変わっただけで、首輪そのものは残る。
では日本政府が学習費用を出せばいい
ここで日本人としては、こう言いたくなる。
日本政府が、オープンソースAIの学習費用だけ本気で出せばいいのでは?
政府が自分でAI企業を作る必要はない。 官製AIをゼロから運営しようとすると、おそらく会議と調達と報告書でかなりの体力を使う。
だが、オープンソースAIの学習を後押しするために、計算資源や学習費用にだけ金を出すなら話は違う。
AIがここまで戦略物資化した以上、国内から使えるオープンな基盤AIを育てることには意味がある。
海外モデルに依存し続けるのは危うい。 ある日突然、利用制限されるかもしれない。 料金が跳ね上がるかもしれない。 日本語や日本の業務文脈が後回しにされるかもしれない。
ならば、国として計算資源、データ整備、研究者育成、公共データの活用、そして学習そのものに投資する価値はある。
特に「学習だけに金を出す」というのが重要だと思う。
モデルの所有権や思想や運営まで政府が握ると、急に話が重くなる。
しかし、オープンソースとして公開される前提で、学習に必要なGPU代を公共投資として負担する。
これはかなり筋がいい。
道路や港を作るのに近い。 誰か一社のためではなく、産業全体が使える基盤を整備する。
AI時代の公共事業として考えるなら、箱物よりGPU代の方がまだ未来がありそうだ。
ただ、ここにも当然オチがある。
日本政府が学習費用を出すとなると、まず委員会ができる。
次に有識者会議ができる。
その次に「国産生成AI基盤整備検討推進会議準備ワーキンググループ」みたいな長ったらしい名前の組織ができる。
そして報告書が出る。
ワードで。
日本古来の縦書き文書ではないだけ、まだ進歩かもしれない。
オープンソースAIは理想論ではなく、防衛策になる
皮肉を抜きにすれば、私はオープンソースAIはかなり重要になると思っている。
その中でも、オープンソースを後押しして、日本政府が学習だけに金を出す形はかなり有望だと思っている。
政府がモデルを所有するのではなく、学習に必要な計算資源だけを公共投資として出す。
成果物はオープンソースとして公開する。
この形なら、政府主導の重さを少し避けながら、国内から使える基盤AIを育てられる可能性がある。
これは単なる理想論ではない。
自由な技術が大事だ、というきれいな話だけでもない。
むしろ、かなり現実的な防衛策だ。
特定企業に依存しない。 特定国家に依存しない。 突然の利用停止に備える。 技術の中身を検証できる。 自国や自社の文脈に合わせて調整できる。
そう考えると、オープンソースAIは「みんなで仲良く知識を共有しよう」という話ではなく、
止められたときに死なないための保険
に近い。
インターネット初期のオープンソースは、ある意味で理想主義だった。
だがAI時代のオープンソースは、もっと泥臭い。
自由のためというより、依存しすぎて首を絞められないため。
民主化というより、供給停止への備え。
思想というより、BCP。
ずいぶんロマンのない話になってしまった。
でも、たぶん現実はそんなものだ。
おわりに
Fable 5の件で、AIがいよいよ国境を持ち始めた。
クラウドの向こう側にあったはずの知性が、急にパスポートを要求し始めた。
その結果、オープンソースAIへの期待は強くなると思う。
ただし、オープンにするには、開かれた理念だけでは足りない。
ヒトがいる。 モノがいる。 カネがいる。
草の根も必要だ。 金持ちも必要かもしれない。 政府の出資も必要かもしれない。
つまり、AIを本当にオープンにするには、結局かなりクローズドな財布を開けなければならない。
そこがこの話の一番皮肉なところだ。
オープンソースAIの未来は、たぶんこう始まる。
「人類共有の知性を作ろう」
そして次の一行は、きっとこうだ。
「まずGPU代を誰が払うのか決めよう」