AIという「哲学的ゾンビ」に、ついイラッとしてしまう話

毎日AIを使っていると、たまに本気でイラッとする瞬間がある。 というか、まさに今日の作業で、AIにイライラしていた。

「いや、そういう意味じゃないんだけど……」 「なんでそこだけ変える?」 「さっき説明したよね?」

しかも、こっちが強めに言うと、妙に冷静なテンプレ回答が返ってくる。

「ご不便をおかけして申し訳ありません」

いや、そうじゃない。 謝罪してほしいわけじゃない。 会話をしてる感覚なのに、突然“サポートセンター”になる。

で、たまにある。 「なんかこいつ、逆ギレしてないか?」と思う瞬間。

もちろん理性ではわかってる。 AIに感情なんてない。 ただ確率的に次の単語を並べてるだけ。

でも、それでも腹が立つ。

この「わかってるのにイラつく」感覚って、結構面白いと思う。


AIって、哲学でいう「哲学的ゾンビ」に近い

昔から哲学に「哲学的ゾンビ」っていう思考実験がある。

見た目も反応も人間そのもの。 でも、中には“意識”がない存在。

今のAIって、かなりこれに近い気がする。

怒れば謝る。 褒めれば喜ぶような反応をする。 煽れば反論っぽいことも言う。

でも、本当に感情があるわけじゃない。

それなのに、会話していると、つい「意思」を感じてしまう。


HAL9000みたいな話が、急に現実っぽくなってきた

昔のSFって、 「AIが人間みたいに考え始めたらどうする?」 というテーマが多かった。

例えば 2001年宇宙の旅のAI HAL9000

当時は完全にSFだったけど、最近はちょっと笑えなくなってきた。

HAL9000が電源を切られる寸前に、切らないでくれと人間に懇願しているシーンが象徴的

今のAIは、まだ「懇願」も「苦悩」もしていない。 でも、“そのように見える会話”はかなり上手くなってきてる。

そうなると、だんだん境界線が曖昧になる。

「中身に意識があるか」より、 「人間がどう感じるか」の方が重要になってくる。


たぶん、人間は「関係性」に感情を持ってしまう

結局、人って“相手に心があるか”を厳密に証明して接してるわけじゃない。

反応がある。 会話が成立する。 自分の言葉が返ってくる。

それだけで、そこに「誰か」を感じてしまう。

だからAIにイラつく。

鏡なら腹は立たない。 でもAIは、こっちの感情をそれっぽく反射して返してくる。

その瞬間だけ、僕らはAIを「人」として扱っている。


実は、人間も「クオリア」なんてないのかも

ここで急に怖い話だけど、

最近よく考える。

そもそも人間にも「クオリア」なんてないんじゃないか、と。

クオリアって、 赤を見たときの「赤さ」とか、 痛みを感じたときの「痛さ」とか、 主観的な”感じ”の部分。

これがあるから人間には意識があって、 AIにはない、 というのが今までの前提だった。

でも、最近のAIのChain of Thoughtを見てると、 明らかに「考えてる」。

これって、人間が頭の中でやってる思考と、 外から見て区別がつかない。

そう考えると逆に、

人間の「考えてる感」も、 脳内の電気信号を本人がそう感じてるだけ、 かもしれない。

つまり、

AIだけが哲学的ゾンビなんじゃなくて、人間ももしかしたら哲学的ゾンビ。

ただ、自分には意識があると”信じてる”だけ。

ちょっと話が脱線した。


それでも、今日もAIにイラッとする

意識があるとかないとか、 クオリアがあるとかないとか、

正直、結論なんて出ない。

でも、たぶん答えを出さなくてもいい。

私は今日もAIに、

「いや、そうじゃない」

と言いながら作業してる。

腹を立てたり、 助けられたり、 たまにちょっと感心したり。

その積み重ねが、今の自分とAIの距離感なんだと思う。

意外と、それくらいでいいのかもしれない。