インドの若者失業と、昔の日本の「大学は出たけれど」
さっき、YouTubeでインドの現状を解説する動画を見ていた。
インドといえば、
- GDP成長率が高い
- IT大国
- 人口世界一
- 将来有望
というイメージが強い。
私自身もそう思っていた。
実際、その認識は間違っていないのだろう。
ただ、その動画で取り上げられていたのは少し違う側面だった。
若者の失業率がかなり深刻らしい。
特に目を引いたのが「高学歴失業」の話だ。
インドでは長らく、教育が人生を変えるための重要な手段だった。
勉強して良い大学へ行く。
英語を身につける。
資格を取る。
そうやって良い仕事に就き、社会的な地位を上げていく。
その背景には、長年続いてきたカースト制度の影響もあるのだろう。
ところが、大学卒業者は大量に増えたものの、その受け皿となるホワイトカラーの仕事が十分に生まれていない。
結果として、
大学を出た。
英語もできる。
それでも仕事がない。
あっても配達員や契約社員のような不安定な仕事しか見つからない。
そんな状況が起きているらしい。
経済は成長している。
しかし若者の受け皿が足りない。
なんとも不思議な話だ。
そういえば、LinkedInをやっていると時々インドの学生から連絡が来る。
「日本で働きたい」
という内容だ。
しかも普通に英語で送られてくる。
最初は驚いた。
しかし今回の動画を見て、少し納得してしまった。
彼らから見れば、日本は人手不足の先進国だ。
チャンスがあるように見えるのだろう。
ただ、現実はなかなか厳しい。
私は返事をしたことがない。
別に意地悪をしているわけではない。
日本の現場を知っているからだ。
IT業界は比較的英語だけでも仕事をしやすい方だが、それでも日本語ができないと厳しい。
会議もある。
顧客とのやり取りもある。
契約もある。
結局、日本で働くなら日本語は必要になる。
だから熱意は理解できても、現実的には難しい。
そんなことを考えながら、ふと昔の日本の話を思い出した。
私の親の世代である。
その頃、
「大学は出たけれど」
という言葉が流行したらしい。
大学進学者は増えた。
しかし世の中の仕事はまだ工場や建設現場などの肉体労働が中心だった。
経済は成長している。
仕事もある。
ところが大卒向けの仕事はそれほど多くない。
だから、
「大学は出たけれど、働き口がない」
という状況が生まれた。
なんだか今のインドの話と重なって見える。
経済成長というと、つい全員が豊かになるようなイメージを持ってしまう。
しかし実際にはそう単純ではない。
大学を増やすことと、大学卒業者向けの仕事を増やすことは別問題だ。
教育には数年しかかからない。
しかし産業構造が変わるには何十年もかかる。
その時間差が、
「高学歴者が増える速度」
と
「高学歴者向けの仕事が増える速度」
のズレを生む。
そして高学歴失業が発生する。
昔の日本もそうだった。
今のインドもそうなのかもしれない。
もちろん両国の状況は全然違う。
人口規模も違う。
経済構造も違う。
それでも、
「勉強すれば未来が開ける」
と信じて努力した若者たちが、社会の受け皿不足にぶつかる構図はどこか似ている。
日本では少子高齢化が問題になっている。
若者が足りない。
人手が足りない。
外国人労働者を受け入れるべきだという議論もある。
一方でインドでは、若者が多すぎて仕事が足りないという。
日本では若者不足。
インドでは若者過剰。
数字だけ見れば、お互いに足りないものを補い合えそうにも見える。
しかし現実には、言語や文化や制度の壁があって、そんなに簡単な話ではない。
世界は本当にうまくできていない。