格差は「路線」に現れる。京浜東北線とアメリカの街並みから見えたもの
先日、京浜東北線に乗っていたときのことだ。
首都圏以外の人にはわからないので説明すると、神奈川、東京、埼玉を貫く路線で、工業地帯を通るJRの路線である。
工業地帯だけあってブルーカラーや外国からの労働者の利用率が高い。
目的の駅に着き、いざ降りようとした瞬間、ドアの前に明らかにホームレスと思われる方が陣取っていた。
乗客たちはみんな、一瞬足が止まる。
降りられない。
それでもそこは日本だ。
誰も声を荒らげることなく、誰も文句を言わず、ただ静かに、その横をすり抜けて降りていく。
「どいてくれ」と怒鳴る人もいない。
私はその光景を見ながら、もしこれが海外の地下鉄だったら、もっと荒っぽいやり取りになっていたのではないか、と思った。
そして、もう一つ思ったことがある。
日本では、格差は「路線」に現れる。
生まれて、離れて、戻って気づいた「車内の空気」
よく「日本はアメリカほど住むエリアによる格差が目立たない」と言われる。
確かに、アメリカのようなスラム街や、富裕層だけが住む街が露骨に分かれているようには見えない。
しかし、格差がないわけではない。
ただ、日本の場合は見え方が少し違う。
私は中流家庭が多い街で育った。
その後、20代、30代は比較的裕福な人が多い沿線へ移り住み、最近また実家の近くへ戻ってきた。
いろいろな路線を渡り歩いて戻ってきたからこそ、昔は気づかなかったことがある。
電車に乗っている人たちの身なり、雰囲気、そして車内に漂う空気が、路線によってかなり違う。
もちろん、どの沿線にもお金持ちは住んでいる。
逆に高級住宅街にも生活に苦しい人はいるだろう。
だから「この路線だからこういう人しかいない」などと言うつもりはない。
しかし、全体として漂う空気には違いがある。
そもそも、路線によって家賃相場が違う。
住む人が違えば、車内の空気も変わる。
あえて誤解を恐れずに言えば、京浜東北線には、ときどきどこか「しょんべんくさい」ような、独特の生活臭を感じる瞬間がある。
私には、それが昔乗ったアメリカの地下鉄の空気と少し重なって見えた。
もちろん、これは私自身がそう感じたという話である。
ロサンゼルスで見た「あからさまな格差」
昔、ロサンゼルスへ行ったことがある。
スラムに近いエリアのマクドナルドへ入ろうとした。
店内は荒れていて、お世辞にも綺麗とは言えない。
店員さんも客も、どこか張りつめた雰囲気だった。
私は結局、何も買わずに店を出てしまった。
その後、ビバリーヒルズの個人経営のバーガーショップへ行った。
そこは別世界だった。
街は綺麗で、店内も洗練され、空気まで違う。
たった数十分車で移動しただけで、ここまで世界が変わるのか、と驚いた記憶がある。
アメリカの格差は、とても分かりやすい。
街並みそのものが違う。
歩いている人も違う。
店も違う。
空気まで違う。
隠そうとしていない。
だから旅行者でもすぐに気付く。
日本は「見えにくい」だけなのかもしれない
ひるがえって、日本はどうだろう。
日本にも格差はある。
しかし、アメリカのように街全体が別世界になるほど露骨ではない。
だから、多くの人は「日本は格差が小さい国だ」と思っている。
私は少し違う気がしている。
格差は消えたのではない。
見えにくいだけではないか。
誰もが同じ電車に乗り、同じホームに立ち、同じコンビニを利用する。
だから一見すると、みんな同じように暮らしているように見える。
しかし、住む路線は違う。
毎日利用する駅も違う。
その積み重ねが、乗客の雰囲気や街の空気となって、少しずつ表に現れる。
アメリカは格差を隠さない。
日本は格差を隠すのが上手い。
だから日本に格差がないのではない。
毎日同じ路線に乗っていると、その格差が当たり前の景色になってしまうだけなのだ。
京浜東北線で見たあの光景は、ホームレスを見たという話ではない。
普段は見えない日本の格差が、一瞬だけホームの上で姿を見せた──そんな気がした。