AIの「危険性」は、本当に危険なのか —— 最近ちょっと思うこと
最近、Anthropicの新モデル関連のニュースを見ていて、少し考えてしまった。
「このAIは危険すぎる」 「サイバー攻撃に悪用される可能性がある」 「だから公開は慎重に行う」
もちろん、本当に安全性を考えている部分はあるのだろう。 ただ、どうしても別の側面も見えてしまう。
正直、これってものすごく強いプロモーションになっている。
言葉を選ばずに言えば「マッチポンプ」だ
「危険だから制限します」というメッセージは、裏を返せば、
「このAIは、それほど強力です」
という宣伝でもある。
昔のゲーム機で「このゲームは過激すぎて発売禁止」と言われると、逆にみんな欲しくなる、あの感じに近い。
特にAnthropicは、「安全性」をかなり前面に出す企業なので、
- 我々は危険性を理解している
- 我々だけが責任を持って扱える
- 我々は他社より倫理的である
というブランドイメージを非常にうまく作っている。
危険性そのものが、差別化要因になっているわけだ。
ただ一方で、こういう「公開する・しない」の議論自体、もう時間の問題でしかないのではないかということだ。
仮にどこか1社が慎重になったとしても、半年後には別のモデルが出てくる。 しかも最近は、中国系、オープンソース系、研究コミュニティ系まで含めると、進化速度が異常に速い。
結局、
「このモデルだけ封印すれば安全」
みたいな世界では、もうない。
攻撃用途に特化したAIなんて、表で議論されているかどうかとは別に、裏では普通に研究されているだろうし、たぶん既に実運用もされている。
なので最近は、この手のニュースを見るたびに、
「堤防が崩れ始めているのに、どのバケツで水を汲むか議論している感じだな」
と思ってしまう。
だから最近は、「どのAIが危険か」という議論よりも、
「AI前提で防御をどう作り直すか」
の方が、ずっと重要に見えている。 まあ、私がこんなブログでいうまでもなくAI業界、政府も認識してるんだろう。
ただ、ここで人類が繰り返してきた厄介な誘惑がある。
「危険な武器は禁止すべきだ。ただし、自分だけは持っておきたい」
「相手の核兵器は悪。我が国の核兵器は防衛用だから問題ない」
そういう論理が罷り通る世界に、私たちは生きている。
だからAIに関しても、形だけは国際ルールができると思う。 ただ、結局は穴だらけになるんじゃないかなと。
核兵器ですら、特定の国家が所有を独占しつつ、勝手に作る国があって軋轢を起こしている状況だ。AIで同じことが起きないと考える方が不自然だ。
しかも厄介なことに、AIは核兵器ほど強烈な制限がかかっていないし、今後もかからないだろう。 巨大な施設も濃縮ウランもいらない。GPUとデータと電力があれば、誰でもどこでも作れてしまう。
結論としては、少しナショナリスティックな話になってしまうが、
各国が「自国防衛用」と銘打ったAIを、競うように開発していく
そういう流れになるんじゃないか、と思っている。
そして、その流れを止める手段は、たぶんもう存在しない。 私たち個人にできるのは、「危険なAIを止める」議論ではなく、
「危険なAIが当たり前に存在する世界で、どう生き延びるか」
を考えることくらいかもしれない。