「頑張った」は本当に正しいのか。セルジオ越後の苦言が刺さる理由
ワールドカップで日本代表は決勝トーナメント1回戦で敗れた。
予選は突破できる。
しかし、その先がなかなか越えられない。
もう20年近く、「あと一歩」の壁に跳ね返され続けている。
試合後、SNSやテレビにはこんな言葉があふれる。
「よく頑張った」 「感動をありがとう」 「次に活かそう」
もちろん、それらの言葉が間違っているとは思わない。
選手たちは本当に努力したのだから。
しかし、毎回その空気に水を差す人がいる。
セルジオ越後だ。
日系ブラジル人として、日本とブラジルのサッカー文化の両方を知る彼は、一貫して厳しい。
要約すると、こういうことを言っている。
「負けたら叩かれるのが勝負の世界。優しさだけでは強くならない。」
私は、この考え方には一理あると思う。
日本人は「頑張ったこと」を評価する文化が強い。
もちろん努力は尊い。
しかし、勝負の世界では努力そのものが評価対象ではない。
結果が評価される。
これはスポーツだけではない。
例えば営業職を考えてみる。
一人は毎日真面目に客先へ足を運び、一生懸命営業している。
もう一人は適度にサボりながら要領よく動いている。
ところが、売上は後者が圧倒的に上だった。
もしあなたが上司なら、どちらを高く評価するだろうか。
さらに厳しい話をすれば、どちらか一人をリストラしなければならないとしたら。
日本人なら悩む。
頑張っている営業マンに子どもがいて、住宅ローンを抱えていると聞けば、なおさら心が揺れる。
「結果だけでは判断できない。」
そう思う人も多いだろう。
この温情主義こそ、日本社会の住みやすさを支えているものでもある。
困っている人を簡単には切り捨てない。
空気を読む。
助け合う。
だから日本は比較的安心して暮らせる国になった。
私は、その価値まで否定したいわけではない。
しかし、その価値観を世界との競争にそのまま持ち込むと話は変わる。
世界は結果主義だ。
「頑張ったから評価する」ではなく、「結果を出したから評価する」。
そこでは努力は前提条件でしかない。
かつての日本は、「みんなで頑張る」ことで世界を驚かせた。
安く、高品質な製品を大量に作る。
現場改善を積み重ねる。
チームワークで世界と戦う。
その時代には、日本の強みが確かにあった。
しかし今の世界は違う。
AIを見ても分かるように、一人の天才、あるいは少数の優秀なチームが世界市場を変えてしまう。
莫大な価値は、ごく一部の企業や人材に集中する。
昔の「みんなで頑張れば勝てる」というゲームではなくなってきた。
だからこそ、日本代表も、日本企業も、日本経済も、「頑張った」で満足していては次の壁を越えられないのではないか。
私は日本がアメリカのような徹底した結果主義社会になってほしいとは思わない。
温情や助け合いは、日本の良さだからだ。
しかし、世界一を目指す競争の場では、セルジオ越後の厳しさも必要なのだと思う。
優しさだけでは、人は救えても、世界には勝てない。