「What are you looking at?」は失礼なのか —— 言語より先にある「空気」の話

さっき見ていた、英語教育系のYouTuberが、

“What are you looking at?” は自分を見てる人に使うと失礼 ケンカになることもある

と言っていた。

まあ、それは確かにそうだと思う。

でも、これって別に英語だけの話ではない。

日本語でも、

「何見てるんですか?」

と言われたら、かなり圧がある。

状況によっては、ほぼ喧嘩の入り口だ。

つまりこれは、「英語表現の問題」というより、もっと根本的な、

“人間同士の距離感” の問題

なのだと思う。


言葉だけ直しても、空気は直らない

語学学習では、よく

みたいな話が出てくる。

もちろん、それ自体は大事だ。

ただ、現実には「文法的に正しい失礼」なんていくらでも存在する。

たとえば、日本語でも、

みたいな、一見丁寧な言葉が、実際には拒絶だったり、上下関係を含んでいたりする。

逆に、多少文法が怪しくても、笑顔で柔らかく話せば全然通じることもある。

結局、人間は単語だけで会話していない。

表情、声のトーン、距離感、空気。

そういうもの全部込みで「失礼」が成立する。


「差別された」の裏側にあるもの

以前、「フランスでアジア人差別にあった」という話を見かけた。

もちろん、本当に悪質な差別も存在すると思う。

ただ、その話に対して、長年フランスに住んでいる日本人評論家が、

「まさか英語で話しかけてないですよね?」 「ドレスコードって知ってます?」 「日本人の店員みたいな愛想のいい対応は高級店だけですよ」

と返していたのが印象的だった。

かなり厳しい言い方だが、言いたいことは分かる。

海外では「悪意」だけで人間関係が壊れるわけではない。

そういう「ローカル常識」を踏み抜くと、本人は普通のつもりでも、相手からは雑に見えることがある。

そして厄介なのは、これは日本でも同じということだ。

外国人が日本で、

みたいなことをすると、やはり空気が悪くなる。

つまり、「失礼」は万国共通で存在する。

ただ、その地雷の位置が国ごとに違うだけなのだ。


「失礼をゼロにする」は、たぶん無理

最近は、

みたいなものが強く求められる時代になった。

方向性としては間違っていないと思う。

ただ、正直なところ、

「失礼を完全になくす」のは不可能

だとも感じる。

なぜなら、人間は文化も価値観も違うからだ。

ある国では普通でも、別の国では失礼。

ある世代では冗談でも、別の世代では侮辱。

しかも、同じ日本人同士ですらズレる。

結局、「絶対安全な言葉」を探すゲームを始めると、永遠に終わらない。


最後に残るのは、案外シンプルなもの

いろいろ考えると、結局最後に効くのは、

みたいな、かなり原始的な部分なのかもしれない。

語学力は大事だ。

マナーも大事。

でも、人間同士のコミュニケーションは、それだけでは決まらない。

文法より先に、

「あなたと揉める気はありません」

という空気を出せるか。

案外そこが、世界共通の“翻訳機”なのだと思う。