Anthropicはマーケティングが下手なのかもしれない
最近のAnthropicを見ていて、少し不思議な気分になっている。
私は普段からClaude Codeをかなり使っているので、どちらかと言えば応援している側だ。実際、仕事でも助けられているし、現時点でも十分優秀なツールだと思う。
それでも最近の動きを見ていると、
「この会社、もしかしてマーケティングがあまり得意ではないのでは?」
と思うことが増えた。
正直すぎる会社
Anthropicの特徴は、とにかく真面目なことだ。
危険性評価をする。
リスクを公開する。
安全性を検証する。
危ないと思ったら出荷を止める。
研究者としては非常に立派な態度だと思う。
ただ、商売として見ると首をかしげる場面もある。
「このモデルは危険かもしれません」
と自分で言う。
「だから出荷を止めます」
と自分で言う。
「修正版ができました」
と自分で出す。
すると今度は政府や規制当局が、
「危険なんだね?」
と反応する。
外から見ていると、
「それ、黙っていた方が得だったのでは?」
という気持ちになってしまう。
もちろん黙っていればいいという話ではない。
ただ、正直者が損をするような構図に見えてしまう。
Fable問題
個人的にはこちらの方が深刻だと思っている。
Fableを触った人の感想を見ていると、
「すごい」
「賢い」
「別次元」
という評価が目立つ。
ところが、その後で利用制限がかかる。
すると何が起きるか。
ユーザーは元のモデルへ戻る。
問題は、一度見てしまったことである。
高級レストランへ連れて行かれたあと、
「今日から社員食堂です」
と言われたらどう感じるだろうか。
社員食堂がまずいわけではない。
昨日との比較で負けてしまうのである。
人間は絶対評価ではなく相対評価の生き物だ。
存在を知らなければ満足していたかもしれない。
だが、一度未来を見てしまった。
もう戻れない。
なんだか物足りない
これは完全に主観だ。
ベンチマークの話ではない。
私自身、今日のOpusを使っていて、
「前のOpusより少し馬鹿な気がする」
と思う。
本当に性能が下がったのかは分からない。
単なる気のせいかもしれない。
期待値が上がっただけかもしれない。
比較対象がFableになったせいかもしれない。
ただ、ユーザー体験としては重要だ。
ユーザーは論文を読んでいるわけではない。
毎日使って、
「なんか前より微妙だな」
と思ったら、それが現実になる。
OpenAIにとってはチャンス
最近、私は一部の作業をCodexへ移し始めている。
もちろんClaude Codeの方が賢いと思う。
設計や調査も含めれば今でも強い。
しかし、ツール選択というのは性能だけでは決まらない。
安定しているか。
使えるか。
いつでもアクセスできるか。
期待を裏切らないか。
そういう要素も大きい。
ユーザーは別にAnthropicのファンではない。
私もそうだ。
良い道具を使いたいだけである。
だから失望が積み重なると、
「じゃあOpenAIでいいか」
になる。
競争とはそういうものだ。
今日の感想
Anthropicは技術力では間違いなくトップクラスだと思う。
むしろ研究者集団としては尊敬している。
ただ、ここ数か月の動きを見ていると、
「優秀な研究者が必ずしも優秀なマーケターではない」
という当たり前の事実を思い出す。
そして一番皮肉なのは、
Anthropic最大のライバルがOpenAIではなく、
昨日のAnthropicかもしれないということだ。
Fableを見たあとでは、
ユーザーはもう昔には戻れないのである。