海辺の日常と「余裕」の消失について
昨日、気温が30度を超えた。
さすがに暑い。夏ではないはずだが暑いものは暑い、ということで、少し海まで足を運んでみた。
砂浜には思った以上に人がいた。夕日を眺めている人、犬の散歩をしている人、ただボーッとしている人。まだ海開き前なので水は冷たそうだが、景色はすっかり夏のそれだった。
そんな中、また例の光景を目にした。
水辺では外国人観光客らしき人たちが楽しそうに泳いでいる。
金髪の女性たちが、露出の多いビキニで波と戯れている姿は、正直なところ目の保養ではある。
だが、隣には妻がいる。
私は水平線を見つめながら、「今日はいい夕日だなあ」という顔を全力で演じることにした。
すると案の定、隣から声が飛んできた。
「またルール無視。これだから外国人は……」
どうやら妻は別のものを見ていたらしい。
我が家の謎理論
この光景、最近は珍しくなくなった。
私たち夫婦の間には、以前から一つの仮説がある。
「たぶん欧米人は基礎体温が高い」
もちろん科学的根拠は一切ない。
だが、こちらが「まだ冷たそうだな」と思う水に平然と入っていくので、そうとしか思えないのである。 そういえば、真冬の電車に半袖でいるのは、決まって欧米系の人たちだ。
もっとも問題は体温ではない。
日本の海水浴場は期間限定で管理されていることが多い。海開き前は遊泳禁止になっている場所がほとんどである。
罰金があるわけでもなければ、警察が飛んでくるわけでもない。
それでも日本人的感覚では、
「やっちゃダメと言われているなら、やらない」
という空気がある。
だから、それを平然と破る人を見ると、どうしてもモヤモヤする人が出てくる。
最近、みんな余裕がない
海を見ながら、ふと思った。
昔だったら、
「まあ文化の違いなんじゃない?」
で終わっていた話が、最近はそうならない。
SNSを見ても、ニュースを見ても、外国人に対する不満や苛立ちは以前より確実に増えているように感じる。
もちろんマナーの問題もあるだろう。
だが、それだけではない気がする。
結局のところ、日本全体が少し疲れているのではないか。
給料はなかなか上がらない。
物価は上がる。
将来への不安もある。
自分の生活に余裕がなくなると、人は他人の違反やマナー違反に敏感になる。
昔なら見逃せたものが見逃せなくなる。
それは外国人に限らない。
近所の騒音でも、電車のマナーでも、ネットの書き込みでも同じだ。
日本だけの話でもない
そしてこれは別に日本特有の現象でもない。
アメリカでもヨーロッパでも、移民問題を巡る議論は年々激しくなっている。
経済的な不安が強くなると、人はどうしても「外から来た人」に目を向ける。
歴史的にも何度も繰り返されてきた話だ。
だから今の日本で起きていることも、ある意味では世界共通の現象なのかもしれない。
そんなことを考えていたら
そんなことを考えながら海を眺めていた。
夕日は綺麗だった。
波の音も心地よかった。
女の子たちは相変わらず楽しそうだった。
妻は相変わらず不機嫌そうだった。
そして私は相変わらず、
「水平線を見ています」
という演技を続けていた。
結局のところ、世界情勢だの円安だの寛容さだのを語る前に、まずは妻に
「今どこ見てた?」
と聞かれた時の回答を準備しておく方が、我が家におけるリスク管理としては優先度が高い気がする。
海は平和だった。
少なくとも、私以外にとっては。