テクノロジーは判定を正しくした。でも、スポーツは平和にならなかった。

ワールドカップも、そろそろ終盤になってきた。

今回の大会を見ていて、一つ気になったことがある。

判定への不服やクレームが、とにかく多い。

試合中に選手や監督が審判へ詰め寄るだけではない。試合が終わってからも、「あれは誤審だった」「VARの運用がおかしい」「審判が試合を壊した」という議論が延々と続く試合が目立った。

昔も誤審はあった。

それでも最後は、「審判も人間だから仕方がない」という空気があった。納得できなくても、審判が笛を吹けば試合は進み、試合が終われば結果として受け入れるしかなかった。

ところがVARが登場してから、その前提が変わってしまった。

映像で何度も検証され、実際に判定が覆る場面を世界中が見るようになったことで、「審判も間違える」という事実が誰の目にも明らかになった。

そうなれば、徹底的に抗議した方が得ではないかと考える人が出てくる。強く主張すればVARの確認に持ち込めるかもしれないし、その場で変わらなくても、次の判定に影響を与えられるかもしれない。

勝負の世界である以上、その発想自体はむしろ合理的だ。

今回の大会では、その象徴のような出来事もあった。

アメリカ代表の選手が受けたレッドカードによる処分が保留され、トランプ大統領がFIFA側へ働きかけたとされる件である。

細かい経緯や正式な理由は別として、多くの人に残った印象は単純だった。

強く言えば、判定や処分は変わることがある。

一度そういう前例ができれば、次からは誰でも抗議する。

「前は変わったではないか」と言われたら、大会運営側も簡単には突っぱねられない。

皮肉なのは、VARがスポーツをより公平にするために導入された技術だということだ。

判定の精度は昔より上がった。

ただ、その代わりに「審判は絶対である」という前提まで壊してしまった。

昔は、多少おかしな判定でも、最後は審判に従うしかなかった。

今は、映像があり、前例があり、抗議すれば変わる可能性まで見えてしまった。

その結果、スポーツは正確になったが、誰も納得しなくなった。

結局、人間が欲しいのは、必ずしも正しい判定ではない。

自分に有利な判定である。

テクノロジーは誤審を減らした。

その代わりに、負けた側が諦める理由まで奪ってしまったのかもしれない。