東京の「地主のおばあさん」と、病院に一人で暮らす男
先日、近所の駐車場の大家さんであるおばあさんと偶然顔を合わせた。
「暑いですね」
そんな他愛もない挨拶を交わしただけだ。
車を手放して駐車場を借りなくなってからほとんど話す機会はない。ただ、母とは昔から親しくしているらしい。
聞けば、この街で何十年も暮らしてきた人で、もともとは代々この土地で農業を営んでいた家だという。
今では畑は駐車場になり、東京の住宅街に溶け込んでいる。
この何気ない出来事から、東京の資産家について考えてしまった。
日本の資産家というと、IT企業を創業した人や投資家を思い浮かべる人も多い。
しかし東京では、「昔から土地を持っていた」というだけで資産家になった人も少なくない。
戦後の宅地開発で、畑だった土地の価値が何十倍、何百倍にもなったからだ。
若い頃は、この仕組みに少し不公平さを感じたこともあった。
生まれた場所だけで人生が大きく変わるように思えたからだ。
しかし今はそう思わない。
コンクリートだらけになる前から、その土地を守ってきたのは彼らである。後から住み始めた私が文句を言う話ではない。
とはいえ、資産家の暮らしは世間のイメージとはかなり違う。
身なりはごく普通。
驚くほど倹約家の人も多い。
理由は単純で、土地は持っているだけで維持費も税金もかかる。
さらに相続税の問題もある。
「三代続けば財産がなくなる」とまで言われることもあり、実際には家庭ごとの差はあるものの、多くの地主が資産を守ることを常に意識して暮らしている。
義母の友人にも、広い土地を持つ一家がいる。
将来の相続税を見据え、「税金を払える子どもでなければ困る」という考えから、子ども全員を医師に育てたという。
もちろん本人たちの努力があってこその医師である。
それでも親には、「土地を残す」という現実的な理由もあったそうだ。
周囲から見れば、地主で医師一家。
まさに成功者である。
しかし本人たちは、高収入だから気楽というわけではない。
資産を維持するため、高い収入を維持し続けなければならないという別のプレッシャーがある。
そして、その一家には少し寂しい後日談がある。
かつては地域で知られた中規模の病院を経営していた。
しかし時代の変化や家庭の事情、離婚などが重なり、病院は閉じることになった。
現在、その建物には家族の一人だけが住んでいるという。
昼間はまだいい。
だが夜になり、人の気配が消えた元病院の長い廊下を一人で歩く姿を想像すると、少し映画のワンシーンのようでもあり、どこか恐ろしい。
大きな資産は、それだけ大きな責任も背負う。
そんな現実を見せられると、「金持ちも大変なんだな」と思う。
……もっとも、こういう話は「酸っぱい葡萄」だと思う人もいるだろう。
イソップ寓話で、届かない葡萄を「あんな葡萄は酸っぱいに違いない」と負け惜しみを言った狐の話である。
確かに、そういう面はあるのかもしれない。
私だって、「土地を相続しますか」と聞かれたら、喜んで相続する。
だからこれは、「お金持ちなんて羨ましくない」という話ではない。
お金持ちには、お金持ちなりの悩みがある。
それだけの話だ。
それでも、悩むなら貧乏より金持ちのほうがいいに決まってる。