【不毛のプロジェクト回想】200人が迷走し、裁判にまで至った「過信」の果て

私のエンジニア人生の中で、唯一「裁判」にまで発展したプロジェクトがある。

結果としてはこちらが勝訴し、正当性も認められた。だが、関わった全員が疲弊し、誰も幸せにならなかった。今振り返っても、そこから得られた「ポジティブな学習」はほとんどない。

ただ一つ言えるのは、 誰も受けなかった案件を、無理を承知で抱え込んだ時の恐ろしさである。

1. 歪んだ構造と「吐き気」を催す現場

その案件は、本来なら超大手SIerが元請けになるような規模だった。しかし、なぜかWeb系専門の私の所属会社が一次請けとなり、その下にSIerがぶら下がるという歪な構造でスタートした。

私は途中から技術ヘルパーとして投入されたのだが、現場の空気はすでに死んでいた。

誰も前を向いていなかった。

2. 「誰も受けなかった案件」を受けてしまった

プロジェクトが座礁した根本原因は、スタート時点にあった。

問題は、提示された要件と納期がまるで噛み合っていなかったことだ。

その無理筋を見抜いた大手各社は、どこも手を上げなかった。「これは割に合わない」と判断したのだ。

ところが、本来WEB系の開発を主戦場とする私の所属会社が、なぜか「受ける」と言ってしまった。

「うち」に決まった理由は単純だった。そのシステムは、表面上はWEBシステムに見えたのだ。

だが、その裏側はゴリゴリの業務システムだった。WEBの皮をかぶった、重厚長大な基幹システム。

弊社の営業は、その本質を見抜けなかった。

Web系の会社に200人規模の大規模プロジェクトを統制するノウハウなど、持っているはずもなかった。

そのような会社が規模の大きな大手SIerをコントロールするという、歪な構造までもが生まれてしまった。

無理な要件、慣れない開発規模、合わない納期。この三つが揃った時点で、破綻は約束されていた。

開発が始まれば、200人を超える人間が動き出す。途中で「これは無理だ」と気づいても、巨大組織の慣性は止まらない。各社が自己防衛に走り、責任の押し付け合いが始まった。

私自身も、休日返上で鳴り止まない携帯電話に対応しながら、技術的な無理難題を押し付けられる日々。プライベートも削られ、ただ消耗していった。

3. 裁判の結末と、残された虚無感

結局、システムはリリースされることなく崩壊し、裁判へと発展した。

判決は、こちらの主張が認められる形となり、賠償も発生しなかった。

顧客からすれば、多額の予算を投じて何も残らなかった形だ。だが正直に言えば、自業自得な側面も強い。

そもそも、顧客の要求の出し方からして無理があった。大手各社が軒並み手を引いていた時点で、立ち止まって考えるべきだったのだ。

それでも顧客は、納期も要件のスコープ変更も、最後まで調整に応じようとしなかった。 裁判ではこの点が重視され、勝訴に持ち込めたらしい。

安請け合いした弊社に非があるのは間違いない。だが、徹頭徹尾、非協力的だった顧客もまた、自らこの結末を招いたと言わざるを得ない。

この経験から学んだ、唯一の教訓

「現実的な見積もりができ、技術的な実現可否を判断できる人間が、『受けるか否か』の最初の一歩に立ち会わなければならない」

ひとたび巨大な船が間違った方向に全速力で進み始めれば、途中で誰かが叫んでも止めることはできない。

他社が次々と手を引いていく案件には、必ず理由がある。その理由を見抜けないまま「受けます」と言ってしまえば、その時点で勝負はもう決しているのだ。

もちろん、営業の立場もわからないわけではない。数字を上げられなければ、無能の烙印を押される世界だ。

多少リスクがあっても受注を取りに行きたい——その気持ちは、痛いほど理解できる。

だが、それでも。派手な受注よりも、身の丈に合わない仕事を勇気を持って断ることの方が、結果として全員を守る。 今でも、そう強く思っている。