量は正義。ただし最初だけ型がいる

「質か、量か」という議論は昔からあるけれど、結局のところ上達した人はみんな大量にやっている。

プログラミングでも英語でも筋トレでも同じだ。

うまい人を見ると、だいたい例外なく試行回数がおかしい。

だから私は基本的には「量は正義」派である。

ただし、一つだけ条件がある。

最初だけは型が必要だ。

最初は地図を持った方が早い

何も知らない状態で頑張るのは効率が悪い。

野球ならフォーム。

料理なら包丁の使い方。

英語なら文法。

プログラミングなら変数や関数の考え方。

最低限の型を知っているだけで、無駄な遠回りがかなり減る。

地図なしで森を歩くこともできるが、大抵は迷う。

だから最初だけは質にも意味がある。

でも地図ばかり見ても前には進まない

問題は、地図を集めることが目的になってしまう人がいることだ。

文法書を何冊も買う。

勉強法を延々と調べる。

プログラミング本を積み上げる。

気が付けば、森に入る前の準備だけで何年も経っている。

英語ができる人は英語に触れた時間が長い。

プログラミングができる人はコードを書いた量が多い。

結局、どこかで実践に突っ込まないと上達しない。

エンジニアだけは少し特殊

ただ、エンジニアリングだけは少し事情が違う。

なぜなら正解そのものが変わるからだ。

私が若い頃は物理サーバーが当たり前だった。

その後に仮想化が来て、クラウドが来て、コンテナが来て、今はAIエージェントがコードを書いている。

昔の知識だけを信じて量を積んでも、気が付くと時代遅れになる。

だからエンジニアには、

というサイクルが必要になる。

地図を作って終わりではなく、地図そのものを書き換え続ける仕事なのだと思う。

結局、走った人が勝つ

私自身、英語でもプログラミングでもそうだった。

振り返ると、成長した時期はいつも手を動かしていた。

逆に停滞していた時期は、勉強法やツール選びばかりしていた気がする。

完璧な方法を探して立ち止まるより、多少不完全でも走り始めた方が早い。

最初に型を覚える。

あとは走る。

そしてたまに地図を書き換える。

最近は、それくらいがちょうどいいのではないかと思っている。

おわりに

もちろん、この記事を読んだだけでは何も変わらない。

私も変わらない。

そもそも今こうして文章を書いている時間があったら、

コードを10行書くなりした方がいい。

量は正義なのである。