「IPA高度資格は、30年のキャリアに何をもたらしたか?」
最近、IPAの高度試験がまた変わる、DX寄りになる、みたいなニュースを見かけた。 ※IPAとは日本国内の情報技術に関するルールを決める民間団体である。資格認定もしている。
ふと、昔のファイルを漁っていたら、プロジェクトマネージャ試験やITサービスマネージャ試験の合格証が出てきた。 紙が少し黄ばんでいて、「ああ、こんな時代もあったな」と妙に懐かしくなる。
当時は、本気だった。
仕事が終わった後に勉強して、休日も過去問を解いて、論文対策をやって。 若かったから体力もあったし、「これを取ればもっと上に行ける」と、かなり信じていたと思う。
で、30年近くこの業界にいて、結局それは役に立ったのか。
答えは、イエスでもあり、ノーでもある。
若手の頃、資格は確かに効いた。
特に実績がまだ薄い時代は、「最低限勉強できる人間です」という証明になる。 あと、日本のSI業界では、資格保持者の人数がそのまま会社の“看板”になる文化がある。
入札条件だったり、単価交渉だったり、「高度資格○名在籍」が意味を持つ世界は実際に存在する。
だから、入り口のチケットとしては、今でも一定の意味はあると思う。
ただ、現場に入った瞬間、その効力は急激に薄れる。
障害対応の深夜、炎上案件、理不尽な仕様変更、客先との摩擦。 そういう場所では、誰も資格なんて見ていない。
見るのは、「この人、本当に動けるのか」だけだ。
あと、これは面接官をやったときに痛感したことでもあるのだが。
正直、資格欄って、そこまで見ていない。
もちろんゼロではない。 「ちゃんと勉強できる人なんだな」という参考にはなる。
でも、採用を決める理由にはならない。
面接で見ていたのは、もっと別の部分だった。
業務経歴?違う
この人は、チームで揉めそうか。 変なプライドをこじらせてないか。 炎上時に逃げるタイプか。 逆に、責任を抱え込みすぎて壊れるタイプか。
そして何より、「この人を今の現場に放り込んだ時、ちゃんと回るか」。
結局そこだった。
技術力ですら、実は最後は「組織との相性」に飲み込まれる。
じゃあ、資格勉強は無駄だったのかというと、それも違う。
今振り返ると、一番価値があったのは、「体系化」だった気がする。
現場だけやっていると、知識ってどうしても断片化する。
「あの案件でこうだった」 「この障害でこう対処した」
そういう経験則は増えるが、頭の中が属人的になっていく。
でも、資格勉強をすると、一度それを整理させられる。
サービスレベル、可用性、リスク管理、ADR、変更管理。 普段なんとなくやっていたものに、「名前」と「型」が与えられる。
これは意外と大きかった。
たぶん若い頃は、「資格を取れば評価される」と思っていた。 でも50代になった今は逆で、「頭の整理のために勉強する」に変わった。
目的が完全に変質した。
今の時代、実務直結だけで言えば、AWSやAzureの資格の方が、よほど市場価値はあると思う。
IPAの高度資格だけで食える時代ではない。
でも、それでも私は、「勉強したこと自体」は無駄ではなかったと思っている。
合格証そのものより、あの時、眠い目をこすりながら本を読んでいた時間の方が、たぶん価値があった。
資格は、未来を保証してくれる魔法の紙ではない。
せいぜい、「昔のお前、ちゃんと頑張ってたな」と確認するための、過去からの手紙みたいなものだと思う。