正しさが積み重なっても、誰かを救うとは限らない
最近の某球界監督の逮捕ニュースを見て、妙に考え込んでしまった。
もちろん、暴力そのものを軽く見るつもりはない。そこは大前提だ。 ただ、今回の件で一番印象に残ったのは、その後に娘本人が出した声明だった。
「こんな結果を望んでいたわけではない」
たぶん、それが本音なのだと思う。
報道によれば、娘がChatGPTに相談したことが発端だったらしい。
兄弟喧嘩を止めようとした父親が、娘を投げ飛ばした。 娘は深刻な被害意識というより、「これって普通なのか?」くらいの感覚でAIに聞いたのかもしれない。
だが、AIは安全側に倒す。
虐待の可能性を否定せず、児童相談所への相談を勧める。 児相は通報を軽視できない。 警察も動く。 球団もコンプライアンス対応として即座に切る。
流れだけを見れば、誰も間違っていない。
ChatGPTは仕様として正しい。 児相も警察も「見逃して最悪になる」リスクを避けた。 球団もスポンサーや世論を考えれば当然の判断だ。
全部「正しい」。
でも、その正しい判断を綺麗に積み重ねた結果、最後に残ったのは家族の崩壊だった。
昔なら、「親父もやりすぎたな」で終わっていた話かもしれない。 もちろん、それで本当に救われなかった子供たちがいたのも事実だ。
だから社会が、「グレーでも動く」方向に舵を切った理由は理解できる。
ただ最近は、そのシステムがかなり強力になってきた。
AIも行政も企業も、とにかく「最悪を回避する」方向で設計されている。
だからAIは簡単に「大丈夫ですよ」とは言わない。 警察も「今回は様子見で」とは言いにくい。 企業も「裁判結果を待ちます」はリスクになる。
結果として、
「疑わしきは即座にシステム起動」
という社会が完成しつつある。
しかも厄介なのは、その誰にも悪意がないことだ。
娘本人も、父親が仕事を失い、ここまで社会的に潰れることまでは望んでいなかったはずだ。
でも、一度AIに火が付き、行政とコンプライアンス装置が回り始めると、個人の感情や「そんなつもりじゃなかった」は途中で止められない。
この感じ、少し怖い。
正しい判断を積み重ねれば、自然と良い結果になる。 昔は、なんとなくそう信じられていた。
でも最近は、
「正しい判断の総和が、全員を不幸にする」
そんなケースが普通に起き始めている。
そして最後に、少し皮肉だなと思ったのが娘本人の声明文だった。
SNSではすでに、
「18歳の文章っぽくない」 「ChatGPTで整えた文章では?」
という声まで出ている。
真相は分からない。 ただ、もし本当にそうだったら、なんとも象徴的だ。
ChatGPTへの相談から始まり、 最後の「そんなつもりじゃなかった」という声明まで、 AIが関わっている。
正しさを補助するためのAIが、 いつの間にか、人間関係の泥臭さや感情の揺れまで整理し始めている。
そんな時代に、もう入ってしまったのかもしれない。