日本の契約書が薄い理由、たぶん「言霊」と「村社会」
海外の契約書、長すぎ問題
海外の契約書を見ると、たまにびっくりする。とにかく長い。
「相手が破産した場合」「訴訟になった場合」「責任上限」「間接損害」「準拠法」「裁判管轄」みたいな話が延々と続く。
一方、日本の昔の契約書は本当に薄い。
最後はだいたい、
「疑義が生じた場合は誠意をもって協議する」
で終わる。
いや、“誠意”って何だよ、となる。
日本は「契約」より「関係」で動いていた
これには日本独特の背景が結構あると思う。
まず1つは、村社会的な構造。昔の日本企業って、完全な赤の他人と単発で取引するケースがそこまで多くなかった。
系列会社、親会社、銀行、業界団体、下請け。どこかで繋がっている。
しかも、一回取引すると長い。10年単位で付き合うのも普通。
すると重要なのは、契約書でガチガチに縛ることより、
「今後も関係を続けられるか」
になる。
だから最初から、
「訴訟になったら」 「解除条件は」 「損害賠償は」
を細かく書くと、
「そこまで疑ってるの?」
みたいな空気になる。
これは精神論というより、日本の商習慣そのもの。
「言霊」で最悪の未来を書きたくない
もう1つが、かなり民族的というか文化的な気質。
日本には昔から、
「言葉には力がある」
という言霊(ことだま)的な感覚が強い。
悪いことを口にすると、それが現実になる。
結婚式で「別れる」はNG。受験生に「滑る」はNG。病院で4号室を嫌がる。そういう感覚。
だから契約でも、
「契約解除」 「損害賠償」 「訴訟」 「破産」
みたいな話を延々書くのを、どこか“不吉”と感じる空気があった。
なので日本の契約書は、細かいリスクを書くより、
「問題が起きたら誠意を持って話し合いましょう」
で済ませる方向に行きやすかった。
でも現代ITでは普通に事故る
もちろん、現代ではこれだと普通に事故る。
特にIT業界。
責任範囲曖昧、SLAなし、著作権未定義、障害時対応不明。
これで進めると後で地獄を見る。
なので最近は、日本企業でもかなり欧米型の分厚い契約書が増えてきた。
とはいえ、私もかなり日本的に仕事している
……とはいえ。
こんな話を書いている私自身、実はかなり“日本的”な働き方をしている。
今のお客さんとも、たぶん最初に契約書は取り交わしているはず。
でも正直、
今どんな契約で仕事してるのか、私もお客さんも詳細まではよく分かってない。 ざっくりした単価だけが決まってる。
契約書を今すぐ探せと言われても、たぶん双方かなり怪しい。
実態としては、契約書より、日々のやり取りと信頼関係で回っている。
結局、日本社会って、なんだかんだ今でも
「契約」より「関係」
で動いてる部分が結構あるんだと思う。