「良い人」が生き残る時代? —— 岡田斗司夫の“評価経済”を、今になって思い出す

最近、AIだのSNSだのを眺めていて、ふと思い出した人物がいる。 岡田斗司夫 だ。

若い人だと「YouTubeで人生相談してる人」というイメージかもしれないが、もともとは1980年代にアニメ制作会社「ガイナックス」- 大ヒットした「新世紀エバンゲリオン」を制作 - を立ち上げた人物で、かなり濃いオタク文化の中心人物だった。

その後、経営者、評論家、大学講師、YouTuberと立場を変えながら活動していて、十数年前から「評価経済社会」という話をしていた。

当時は正直、「また未来論か」くらいに思っていた。 だが、SNSとAIがここまで社会の前提を変えてくると、妙にあの話が現実味を帯びてくる。


「能力」より「評価」が先に来る

昔の社会はわかりやすかった。

能力がある ↓ お金を稼ぐ

という構造だった。

プログラムを書ける。 営業ができる。 図面が描ける。 英語ができる。

そういう“直接スキル”が、そのまま換金されていた。

ところがSNS時代は少し違う。

まず「この人感じいいな」が来る。 そのあとに仕事や案件が流れてくる。

特にフリーランス界隈はわかりやすい。 「実力最強です!」タイプより、

みたいな人の方が、長く仕事が続く。


AIで「能力の希少性」が崩れ始めた

そして今、そこにAIが入ってきた。

コードを書く。 文章を書く。 翻訳する。 要約する。 資料を作る。

昔なら「専門技能」だったものが、かなりの速度でコモディティ化している。

もちろん、トップ層の専門家は残る。 だが、中間層の「普通にできる人」の価値はかなり怪しくなってきた。

その結果、逆に人間側へ残るのが、

「この人と仕事したい」

という、極めて曖昧な感情になっている。

なんというか、昔は 「腕のいい職人」が強かったのに、 今は「感じのいい人」が強い。

いや、もちろん腕も必要なのだが、 腕だけでは突破できなくなっている。


岡田斗司夫の怖いところ

岡田斗司夫の話で妙に怖いのは、

「本当に良い人である必要はない」

という部分だ。

つまり彼が言っていたのは道徳論ではない。

「良い人っぽく見えた方が、社会コストが低い」

という、かなり冷たい合理論だ。

SNSを見ていても、

より、

の方が、生き残る。

これは善悪というより、リスク管理に近い。

企業も結局そうだ。

多少能力が低くても、 「トラブルを起こさない人」の方が組織に残る。

逆に、超優秀でも周囲を破壊するタイプは敬遠される。


たぶん、これからは「感情労働」の時代

AIによって知的労働の一部が削られるほど、 逆に人間へ要求されるのは「感情」になる。

なんだか接客業みたいだが、 ホワイトカラー全体が、少しずつそうなっている気がする。

昔は「職人気質」でも許された。

でも今は、 「腕はあるけど扱いづらい」は、 かなり厳しい。


そして最後に、もう一つの“予言”

最近の岡田斗司夫は、さらに面白いことを言っている。

これからは、人間同士が直接ぶつかるのではなく、

「お互いのAI代理人同士が会話する社会」

になるのではないか、と。

たとえば、こちらのパーソナルAIが、

そして相手側もまた、自分専用AIを持っている。

つまり、人間同士が直接コミュニケーションするのではなく、 AI同士が“安全なプロトコル”で会話する。

考えてみれば、すでにその片鱗はある。

メールの下書き。 チャット返信の補完。 会議要約。 炎上しない文章の添削。

みんな少しずつ、 「人間の感情摩擦」をAIに肩代わりさせ始めている。

ここまで来ると、少し不思議な話になる。

これまでAIに奪われると言われていたのは、 主に“知的労働”だった。

だが本当に最後まで残ると思われていた 「感情労働」すら、 実はAIが代替してしまうのではないか。

空気を読む。 気を遣う。 嫌われないように調整する。

そういう“対人ストレス”までAIが吸収するなら、 人間は何をするのだろう。

もしかすると未来の人類は、 執事AIに守られながら、 自分は好きなことだけを言う、 「全員が王様」のような存在になるのかもしれない。

……もっとも、その時に会話しているのが 本当に“人間同士”なのかは、 少し怪しい気もするのだけれど。