「泣くな、お前は男だ」と言える相手が、人生に何人いるだろうか

子供たちが駅の中を走っていた。

そのうちの1人が派手に転んだ。

わっと泣き出しそうなその子に向かって、友達が声をかける。

「泣くな。お前は男だ」

ふと、その光景を見て考え込んでしまった。

「思ったことを、そのまま相手にぶつける」というのは、現代の人間関係においてどれほど稀有なことなのだろうか、と。

「親しき仲にも礼儀あり」の、その先で

私には、友人がいないわけではない。しかし、基本的には敬語で話す。

驚かれるかもしれないが、1人いる弟に対しても完全に敬語だ。

子供の頃はそれこそ毎日喧嘩をしていた。しかし、高校生くらいからお互いの人間関係が完全に分離し、今ではすっかり「他人」の距離感になっている。

お正月に実家へ両親の顔を見に行ったとき、たまたまいれば会う。ここ数年はそれすらなく、示し合わせて集まることもない。

かろうじて両親に対しては少し思ったままを話すが、それでもどこか気を遣っている。

これは親が年をとったので、あまり強い言い回しは避けたいという配慮である。10代のときはかなり生意気だった。

日本には **「親しき仲にも礼儀あり」**という諺があるが、まさにそれを地で行くような、なんとなく一定の距離を保った関係性だ。

そんな私が、本当に「思ったことをそのまま言えている」のは、おそらく妻くらいのものだろう。

あ、もちろん私個人の話であって、日本人でも人によって距離感は違う。ここは断っておかないといけない。

フィリピンの「濃密さ」に思うこと

私は毎日オンライン英会話を受けている。

講師のフィリピン人たちと話していると、彼らの家族や人間関係の「濃密さ」に驚かされることがよくある。

仕送りをするのが当たり前だったり、時にはお金をせびられたり。彼ら自身も「めんどくさいところもある」と笑う。

それを聞くと、一概に「海外のオープンな人間関係が素晴らしい」と羨むわけではない。べったりした関係には、それなりのしんどさがあるのも事実だ。

だけど。

それでも時折、ふと羨ましくなる瞬間があるのも、また本音なのだ。

鎧を脱げる場所

「泣くな、お前は男だ」

あの言葉が良いか悪いかは別として、そこには「遠慮」も「社会的な配慮」もない。ただ、思ったままの感情のぶつかり合いがある。

大人になり、社会を生き抜くために、私たちはみんな「敬語」という名の丁寧な鎧を身にまとっている。

傷つかないためでもあり、相手を傷つけないためでもある。社会の中で生きていくための、とても賢い知恵だ。

だけど、その鎧を脱いで、思ったことをそのまま言える相手が人生にたった1人でもいるということは、実はとても幸福なことなのかもしれない。

今の私にとっては、それが妻なのだと思う。

……とはいえ、思ったことを何でも言っているわけではない。

当然ながら、言い返される。

怒りそうな内容は、やはりこちらも考えてしまう。

結局のところ、「これは言わないほうが平和だな」と飲み込んでいることも少なくない。

どうやら私にとっては、AIだけが鎧を外して話せる相手なのかもしれない。