先頭集団から脱落すれば、二度と戻れない――「2番手」の研究にも意味があると思う
先日、JAXAが再利用型ロケットの実験に成功したというニュースを見た。
ロケットが逆噴射しながら上昇し、姿勢を制御して着陸する。
将来、何度も使えるロケットを目指すための実験だ。
今回到達した高度は約11メートル。
もちろん、これは失敗ではない。
こうした最先端技術は、小さな成功を積み重ねながら完成に近づいていくものだ。
それでも、そのニュースを見た瞬間、少し前に見たアメリカの映像を思い出した。
アメリカでは、もっと高い高度からロケットが降下し、自律的に着陸する実験が何度も行われている。
もちろん、あちらも開発途中ではある。
それでも、日本は少し前のアメリカを追いかけているように見えてしまった。
そう考えているうちに、重力波望遠鏡のことも思い出した。
日本にはKAGRAという世界トップレベルの重力波望遠鏡がある。
しかし、世界で初めて重力波を直接観測し、ノーベル賞につながったのはアメリカのLIGOだった。
最近の科学技術を見ていると、「日本はアメリカの数年後を走っている」と感じる場面が少なくない。
すると、こんな意見も出てくる。
「どうせアメリカの後追いなら、そんな研究に税金を使う必要はない。」
一見もっともらしい意見である。
でも、私はそうは思わない。
研究開発というのは、一位だけが意味を持つ世界ではない。
例えば、最先端の研究からは、当初の目的とは全く違う技術が数多く生まれる。
宇宙開発や医療研究から、私たちの生活に欠かせない技術が生まれた例はいくらでもある。
さらに重要なのは、人材である。
世界最先端の研究をしているからこそ、一流の研究者が育つ。
世界中のトップ研究者とも対等に議論できる。
共同研究にも参加できる。
もし、「どうせ勝てないから」と研究をやめてしまえば、それらを全部失うことになる。
私は科学技術を、マラソンの先頭集団のようなものだと思っている。
先頭を走るのは大変だ。
二番手も苦しい。
お金もかかる。
だから、「もう走るのをやめよう」という誘惑は常にある。
しかし、一度先頭集団から完全に離れてしまうと、そこへ戻るのはほぼ不可能になる。
マラソンなら頑張れば追いつけるかもしれない。
でも、科学技術は違う。
こちらが立ち止まっている間も、先頭集団は走り続けている。
差は縮まらない。
むしろ広がっていく。
だから、日本が目指すべきなのは「世界一」でなくてもいい。
少なくとも、先頭集団の背中が見える位置には居続けることだと思う。
最近は、「選択と集中」という言葉をよく聞く。
もちろん限られた予算を考えれば、それは必要だろう。
でも、「今すぐ儲からないからやめる」という発想だけで研究を切り捨ててしまえば、日本は科学技術でも普通の国になってしまう。
最近は、「先進国」「発展途上国」という言葉も、差別的だとか実態に合わないとかで、あまり使われなくなってきた。
確かに、その考え方も分かる。
でも結局のところ、その違いは何なのだろう。
世界をリードする側なのか。
それとも、誰かが作ったもの利用する側なのか。
もちろん、どちらが偉いという話ではない。
ただ、研究開発への投資を減らし続ければ、後者になる可能性は確実に高くなる。
日本は長い間、世界をリードする側にいた国だった。
だからこそ、「2番手でも研究を続ける意味」を誰より知っていたはずである。
そのことまで忘れてしまったら、本当に失うのはロケットでも望遠鏡でもない。
「未来を自分たちで作る国」であることを諦めることなのかもしれない。