馬車の御者は、その後どうなったのか

正直に言うと、ぼくも少し怖い。

エンジニアという仕事は、AIに最も影響を受ける職種の一つだ。

「コードを書くだけの人」は、たぶん5年後にはかなり減っている。

「AIで仕事が消えても、新しい仕事が生まれるから大丈夫」

そう自分に言い聞かせてきた。

でも最近、それは半分本当で、半分嘘だと気づいた。

なぜそう思うかと言うと、よく引き合いに出される「馬車の御者」の話を、もう少しちゃんと考えるようになったからだ。


馬車の御者は、自動車整備士になれていない

「車が普及して馬車の御者は仕事を失った。でも代わりに、自動車整備士、ガソリンスタンド、タクシードライバーといった新しい仕事が生まれた。だから大丈夫」

よく聞く話だ。

でも、よく考えてほしい。

馬車の御者をやっていたのは、馬の扱いに人生を捧げてきた職人だ。

その人たちが、突然エンジンの構造を学び、整備士になれたわけがない。

実際、当時の御者の多くは、新しい仕事に乗り換えられなかった。

40〜50代で長年やってきた仕事を失った人が、ゼロから別の技術を学ぶのは、いつの時代もしんどい。

「新しい仕事」を享受したのは、次の世代だ。

若くてまだ職業選択をしていない人たちが、新しく生まれた職業に就いた。

つまり、技術革新の構造はこうなっている。


手書き製図職人も同じだった

PCが普及した時代も、構造は変わらない。

昔は、製図、版下、製本といった専門職人がいた。

PCの普及で、その仕事の多くは一般社員でもできるようになった。

「便利になった」と言われる。

ただ、その時に職人だった人たちは、ほぼ消えた。

新しく生まれたCADオペレータやWebデザイナーの仕事に乗り換えたのは、若い世代だ。

職人本人たちは、ただ仕事を失った。

「努力すれば適応できる」と簡単に言われる。

でも、人間はそんなに簡単に変われない。

特に、自分のアイデンティティと結びついた仕事を失うのは、ただの転職ではない。


ぼくも、たぶん御者側だ

ここまでは「過去の話」として書いてきた。

でも本当のところ、ぼく自身も御者側にいる気がしている。

AI時代の最初の影響を受けるのは、ホワイトカラーで、特にコードを書く仕事だ。

ぼくはまさにそれだ。

もちろん、AIを使って生産性を爆上げしている自覚はある。

ただ、それで「ぼくは適応できる側」だと安心するのは、たぶん油断だ。

3年後、5年後にどう変わっているかは、誰にもわからない。

「新しい仕事が生まれるから大丈夫」

そう語っていた時、ぼくは半分、自分を励ましていた。

たぶん、本当に新しい仕事を享受するのは、今ゼロから職業選択をしている若い世代だ。

ぼくの世代は、運が良ければ間に合う。悪ければ振り落とされる。


楽観論は、未来の世代の話

「新しい仕事が生まれる」は嘘ではない。

ただしそれは、今振り落とされる人ではなく、まだ職業選択をしていない世代に向けた話だ。

当事者世代にとって、楽観論は救いにならない。

むしろ、自分の置かれた状況を直視させない、ある種の麻酔になる。

AI時代を語るときに本当に必要なのは、

「新しい仕事が生まれるから大丈夫」

という未来世代向けのメッセージではなく、

「世代をまたぐ移行期に、今を生きている人がどうサバイブするか」

という、もっと身も蓋もない話だ。

ぼくも、その問いの中にいる。